リアルの世界のサバイバル

今日も梅田望夫さんのコラムより。

家族がいれば、家族と一緒に幸せに生きていくための最低限の原資を稼ぎ続けるぞっていうのはサバイバルだし、どんどん変化していく世の中でプロとして簡単にコモディティ化しないぞと決心してスキルを磨くのもサバイバルだし、勤めている会社が突然つぶれたときにちゃんと他社から誘われたり独立できるよう準備しておくなんてのもサバイバルだろうし・・・。

氏の文章を読んでいると、サバイバルという言葉が頻繁に出てくる。平野啓一郎さんとの対談である「ウェブ人間論」を読むとその意味が分かるのだけど、小説家である平野さんの「この世の中をどうするか?」という視点に対して、「この世の中で、どう自分は生き抜くか(サバイバルするか)?」という視点なのだ。元々が企業に対するコンサルティングをやっている人だけに、「全体をどうるすか?」ではなく、「そういう全体の中で、個はどうするか?」の傾向が強いのだろう。

だから、氏のウェブ礼賛は、無邪気なものではなくて、リアルの世界をサバイバルするために、ネットに賭けている。ネットには良いところ悪いところいろいろあるけど、良いところを信じてその世界を広げていくことが、自分のプレゼンスを高めることになる=サバイバルに勝ち抜ける。という構造のように見える。

だから、ウェブ礼賛には2種類あって、本当に世の中がそうなれば良いと思っている純粋なウェブ礼賛と、良くも悪くもそうなるんだからその中でどうするの?という一歩引いたウェブ礼賛(それは礼賛とは言えなさそうだけど…。多分、そういう人は自分では礼賛とは言わないのだろう)がある。

いくらウェブ礼賛して、ネットの世界に賭けてみても、人間はネットの世界だけで生きていくことは出来ない。当たり前のことだが、リアルの世界で自分という人間が生きているからこそ、生き続けることが出来ているからこそ、ネットの世界で何か出来る。一歩進めて、ネットの世界に賭けたとしても、その成果はある程度リアルの世界に跳ね返ってこなければ、その賭けは負けなのだ。リアルの世界だけで裕福な人がその上でネット上で社会貢献しようとするか(例えば、オープンソースに参画している人は、リアルの世界でも優れたエンジニアで十分な糧を得ていることが多いだろう。どちらかといえば欧米のエンジニアが参加していて、中国やインドのエンジニアはまだ少ないという。)(もしくは楽しむだけで社会貢献まではしないか(まぁ、YouTube見て面白いなぁと思っているだけとかね。))、ネットの世界で何かすることでリアルの世界の自分を裕福にすることを試みるか。まぁ、多分、どっちかなのだ。当然に圧倒的に前者が多くて、後者はそれが可能かすら分からないことだけれども。少なくとも現時点では、後者に当てはまるのはネット起業家と言われている人を指すだけなのだろうか。

いきなり卑近な話をすれば、単なる派遣のSEに過ぎない私は、時給で生活の糧を得ている(しかも、週3回払い。とても安定した生活って感じじゃないね。最近話題のワンコールワーカーと同じ感じ。さすがに3ヶ月契約だから、今日は仕事があっても明日は分からない…という具合にはならないけど。)。去年までは月給制の正社員だったので、それなりにのほほんとしていたのだが、派遣は案外、のほほんとしていられない。仕事がなければ即、路頭に迷っちゃうのだから。その分だけ、サバイバル感は何となく強くなりがちだ。本当は正社員の時もサバイバル感を持つべきなのだと思うが、その辺がぬるま湯だったのだ。

で、そのサバイバル感を少し強めてみようかと、「好きなこと得意なことだけやろう」とか「ネットに賭けてみよう」とかを、一昨日あたりから言い始めた。先ほどの話でいえば後者をチョイスしてみたということなのだ。我ながら、難しいことを言い始めたものだと思わないでもない。まぁ、ある意味でこれも人体実験である。

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この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。