なぜ、ライフハックが(笑)なのか

私も遅れながらライフハックにハマっている。
Googleカレンダーの使いこなしを考えたり、GTDのためにRemember The Milk(RTM)を使ったり、思いつきを書き付けるためにロディア(RHODIA)を使ったり、思索や生活のレコーディングためにモレスキン(MOLESKINE)を使ったり、レバレッジ・リーディングをしたりしている。

それぞれの道具は、さすがに良く出来ていて、快適に使っているのだが、RTMのタスクに「なぜ行政書士か語れるようにする」とか「大きな方向性を明確にする」といった、大きなビジョンに関することが挙がっていて、それがいつまでもタスクに残りっぱなしだったりする。日々、片付いていくのは些細なタスクばかり。結局、何のためのGTDなんだろうということになってしまう。

結局のところ、ライフハックをしている自分を楽しんでいるのではないか?という思いに至る。楽しむのは良いのだが、それだけが目的になっては、目的と道具の逆転だ。
これは、私がはまりがちないつもの罠で、その代表例はその昔にPDAを買いまくっていた件だが、危うく今回もはまりかけるところだった。

はてな匿名ダイアリーで「ライフハック(笑)」というエントリーが話題を集めている。

メディアに踊らされ乗せられた自覚のない気取った男性を嘲笑した言葉。

という、説明がついている。
またポジティブな発想を嘲笑うネガティブ発想で良くないなぁ…と思ったのだが、上記のような自分を振り返ると、「(笑)」でも、仕方ないと思えてくる。たしかに、踊らされているように思う。
きっと、それに気づいて欲しくて「(笑)」なんだと、好意的に理解したい。(と、さらにポジティブに出てみる。→404 Blog Not Found:ギークが褒めぬにゃ訳がある – 「ウェブ時代をゆく」を読むを参照。)

「ライフハック」という言葉自体がメディアの扇動なのはそのとおりだと思うが、それはそういうキャッチーな名前が付いたから目立つようになっただけで、仕事のやり方とか、知的生活の方法(…これも「(笑)」かもしれないが。)を考えるのは、昔からずっと行われてきたことだ。

ここではあえて「ライフハック」という言葉を使い続けるとして、なぜ、ライフハックしようと思うのか。それが明確になれば、笑われることはないのではないか。
ライフハックによって、思いつきが整理されたり、仕事がはかどったりする。それは良いのだが、なぜ、思いつきを整理したり、仕事をはかどらせたりしたいのか。
仕事がはかどれば自分の時間が持てるようになるかもしれない。その時間に何をするのか。逆に言えば、なぜ自分の時間を持ちたいのか。

“早く仕事を片付けてもやることを見つけられないというモチベーションの低さが、90年代からの長期不況から好転できない遠因。”
「レバレッジ時間術」

と、あるように、ライフハックして自分の時間を作り出したとしても、そこでやりたいことがない。それなのに、世の中がライフハック、ライフハックと騒いでいるから、やってみた…。これがマズい。
だから、ライフハックは、何か明確な目的のもとに行わなければならないのである。
何かやりたいことがある→だから、ライフハックしてそれに充てる時間を作ろうとか、何かやりたいことがある→だから、ライフハックして「やりたいこと」に関するアイディアをまとめていこう…というふうになればよいのではないか。

私も、先に例示したような大きなビジョンに関するタスクから、片付けていこうと思っている。そうしないと、いつまでたっても、目的と道具が逆転したままなのだから。

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この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。