SIerとかSEって、もう駄目ですか?

ひがさんとかGoTheDistanceさんとかのブログに、またSIerはやばいという警鐘エントリーが出ています。こういうエントリーは初めてみたときにはかなりの衝撃を受けたのですが、何度目かとなると、別の視点で見えてきたりもします。

たとえば、GoTheDistanceのもしもIT業界の下請け構造が崩壊したらを読むと、併せて読むことを推奨されているエントリーとして、ひがさんのやつと、江島健太郎さんのが出ている。ひがさんのSI業界はさっさと抜けだしたほうがいいは最近のエントリーですが、江島さんのニッポンIT業界絶望論は2007年のエントリーです。それだけ江島さんのエントリーに意味があるということでしょう。私も2007年に江島さんのエントリーを読んだときは、いろいろ考えたりもしました。

それにしても、2007年のエントリーを引っ張ってくるとは。古くて新しい話題だといえば文章としては格好良いかもしれないのですが、意味がありません。結局、この業界って何も変わってないんだねと嘲笑的に受け取ることもできるし、みんないろいろ言ってるけど、これだけ続いているということは実は問題ないんじゃないかと楽観的に受け取ることもできてしまいます。

この議論の発端となっているSI業界(日本)のJavaプログラマーにはオブジェクト指向より忍耐力が求められている?を読むと、「一流プログラマーと呼ばれている皆さんが最新技術についていろいろ議論してるけど、SIの現場とか、ある程度理想を追うはずのJavaの資格試験ですら真逆のことをやっちゃってますよ」と、そういうことが書いてあります。現場のくだりは納得できます。そんなものだと思います。

その発端エントリーを受けたひがさんのエントリーは、たぶんいろいろ考えた挙げ句のもので、話がすっ飛んでいるように見えます。議論というより、インスパイアされて書いたって感じでしょう。

そんな一連のエントリーにインスパイアされて、私なりに考えたことを書いてみます。

ネットの世界やらブロゴスフィアでもてはやされる技術的な議論と、SIの現場でやっていることはかけ離れています。これは一概に悪ではありません。純粋な技術論はいわゆる基礎研究のようなもので、実用段階でもそのまま適用されることは少ないからです。ただ、日本のSIの現場にはエンジニアリングの要素が抜け落ちていることが多々あります。SEは「システムエンジニア」の略ですが、そのエンジニアリング的基礎教育はなされていないし、当人もそうした発想を持っていないことが多いのです。海外のエンジニアは大学院なりで情報技術に関する高等教育を受けていることが多いようですが、日本ではSEは誰にでもなれる職業です。文系の学生が営業になるかSEになるかくらいの話で。そういう私はというと大学にすら行ってないし、専門学校は理系だったものの、当時の流行語であるマルチメディア系の授業ばかりやっていたわけです。いずれにせよ、エンジニアリングの教育をしっかり受けている海外のエンジニアなりSI企業が日本市場に大量進出してくれば、日本のSIerは相当に厳しいことになるでしょう。

次にクラウド。世の中、クラウドといっておけば良いような風潮ですが、そのクラウドがHaaSなのかPaaSなのかSaaSなのか、しっかり区別しておかねばなりません。HaaSやPaaSであれば、SIerはむしろビジネスチャンスです。ハードは買わないとしても、ソフトは作るわけです。SIerには、HaaSやPaaSに適した設計思想とか実装技術を備えたエンジニアを揃えれば良いのです。汎用機からPCになったり、クラサバがWebになったのと同じような技術の変化に過ぎません。

では、SaaSはどうか。これはソフトを作る必要がなくなるのだから、SIerにとっては一大事です。こうした危機はこれまでにもありました。ERPなどのパッケージ、それからASP(Application Service Provider)。ASPは鳴かず飛ばずでしたが、ERPなどのパッケージに関してはSIerはむしろビジネスにしてきました。導入コンサルティングだったり、そこまでしてパッケージを入れたいのかと思うほどのカスタマイズ、アドオンの大量製造。SaaSでも同様のことになる可能性があります。

カスタマイズ、アドオン案件については日本企業の「うちは特殊だから」マインドに支えられてきました。それを許すお金もあったのでしょう。そのマインドとお金が今なお日本企業にあるのかは微妙です。むしろ、そのようなマインドを持つ企業が生き残っていけるのか不安だったりします。

だとすれば、やはりSE個人としてはSaaSを提供する企業に移るべきなのでしょうか。SIerはSaaSを提供する企業になるべきなのでしょうか。たしかにその道もあります。
しかし、それで本当に一品もののシステムはなくなるのかというと、そんなことはないと思います。例えば、建設業界を見てみましょう。工場で作った部材を組み立てるだけの住宅もありますが、建築士が最初から設計する一品ものの住宅も多いのです。ビルや公共施設などは、ほぼすべてが一品ものでしょう。一品ものには施主の思想がこもるからです。住宅なら自分の思い通りの家を作りたいからでしょう。図書館や病院、介護施設といった建物自体が機能を具現化しているような建物なら、その建物の作り自体が、そこで働く人が仕事に立ち向かう気持ちそのものであり、その施設を使う人に与える思想そのものではないかと思います。

情報システムも同じだと思います。そこにはユーザ企業の思想、戦略がこめられています。実際にシステムを使うユーザの働き方を決めるのです。汎用的に作られたSaaSが一定のシェアを占めることがあっても、一品ものはなくならないでしょう。ただ、SaaSではなくあえて一品ものを作るとして、一品ものゆえの価値を生み出すことができなければ、意味がありません。SE個人やSIerに求められるレベルが高くなるということです。

最後に内製化の進展があります。これはSE個人にとっては所属する会社や働き方が変わることを意味するだけで、自らの居場所がなくなるということではありません。一方でSIerにとっては生き残りの危機につながります。内製化の進展は望ましいことだと思います。一品ものの価値を生み出すには、その企業の業務や事情に精通している人が作った方が良いからです。

SE個人としては一つの企業に属して、その企業のシステムばかりに携わるのではなく、いろいろな企業のシステムに携わりたいというマインドを持つ人もいるでしょう。そのためには、フリーでプロジェクト単位で契約するような仕事をやりやすくする環境作りが必要になるのではないでしょうか。もちろん、フリーでやれるような能力向上も欠かせません。

日本のSEおよびSIerが抱える危機には、エンジニアリング思想の欠如、クラウドの進展、内製化の進展の3つがあります。

SE個人としては、エンジニアリングをきちんと学び、真のエンジニアになること。HaaSやPaaSでの開発技術や、SaaS以上の価値を出せる一品ものシステムを生み出せるスキルを得ること。特に、システムが価値を生み出す仕組みを考え、それを作ることができる。そうした努力が必要です。

SIerとしては、難しいでしょう。SIerのビジネスは請負でも客先常駐になることがあって、エンジニアリングサービス契約だと常駐が前提ですから、企業としての一体感や存在価値を作り出すことが難しいのです。それでも言うとならば、組織立ったエンジニアリングができる会社になることが大前提です。そして、一品ものの価値を真にクライアントに実感させるサービスメニューを作り出すことではないでしょうか。内製化が進展すれば、SIerの存在は、社内SEでは対応できない高度な技術課題を解決できる高度なエンジニアが集結したファームのようなものになるかもしれません。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。