コンピュータを所有するということ

私が初めてコンピュータを所有したのは、小学生の頃でした。
ディスカウントショップのような質屋で、中古のMSX2+を親に買ってもらったのです。(その前にはワープロを持っていました。)

その時、子供時代の私は、MSXで何をやったのでしょうか。
それは、ゲーム、ワープロ、BASIC、音楽といったところだったと思います。
考えてみれば、出来ること全部に等しいような気がします。
子供にはお金がありませんから、オプションが必要そうなことは出来ませんでした。
あと、このMSXには、残念ながらモデムを付けていなかったのです。だから、パソコン通信とは無縁でした。

その後、やはり中古の98NOTEを買いました。
98NOTEでも、お金が無いなりに出来ることは、いろいろとやったと思います。さらに、モデムが接続されたので、ニフティサーブで様々なフリーウェアをダウンロードしては、使ってみるということをしました。
この頃に、DOSでの操作のやり方を覚えたのです。

次に新品でPS/V Visionという流れです。
PS/VがWindowsデビューでした。
まず、AVIでの動画が再生出来ることに衝撃を受けたのを覚えています。今となっては懐かしい、Video for Windowsというやつを使いました。
やはりニフティサーブを使い、フリーウェアやシェアウェアをダウンロードしては、使うという流れです。(この頃にはバイトで少しお金が入るようになっていたので、シェアウェアも買えます。)
MIDIにも、少しだけ熱を上げていました。
そして、今の仕事にストレートにつながるJavaを覚えたのも、この頃です。こないだのJavaOneで日本初のJava本として飾ってあった「Java入門」を読んでいました。それと、VisualJの体験版が入っていた本(書名は失念)が重要でした。
あと、このPS/Vをベースにして、自作PCへの道を歩んだりもしました。(なにしろ、九州からパーツ買いのために大阪日本橋に遠征するような子供だったのです。)

この頃、コンピュータを所有するということは、まさに趣味の世界だったのです。
コンピュータは、使い道があってこそ役に立つものです。
しかし、趣味の世界のコンピュータは、コンピュータを使うことが使い道であって、それで出来ることは、何でもやってみる。
目的のための道具が、道具自体が目的となって、本来の目的は(コンピュータで遊ぶ方法という)道具に過ぎないという、主従逆転の世界です。
そして、大抵、コンピュータの前で時間を、日々を過ごす生活を行うことになります。
なにしろ、コンピュータに触っているだけで、アドレナリンが全開になる状態だから、仕方ありません。

これは、コンピュータの価値と言えるのでしょうか。
少なくとも、何よりも熱くなれた自分がいたことは事実です。
コンピュータを使うという趣味のために、コンピュータに対する物欲が制御の効かない状態にすらなったのです。(いろいろあって、さすがに今は制御出来るようになりました。)
この魔力のようなものは、何でしょうか。
これが価値というなら、どんな価値なのでしょうか。

1つ言えることは、何か創作的な興味(音楽だったり映像だったり文章だったり絵だったり)を持った場合、コンピュータは、大抵、その環境になり得ます。
コンピュータ(というよりデジタル)は、何かの物まねをするのが得意です。その裏には大量の情報の高速な処理が隠されているのですが、いずれにせよ音楽の物まねであり、映像の物まねであり・・・です。
つまり、コンピュータが登場する以前から、もしくはコンピュータで何かが出来るようになる前から、世の中に存在する表現の領域は、大抵はコンピュータでも出来ます。

興味深いのは、ここで言っている大抵のことは、コンピュータの専売特許ではないということです。
音楽なら自分でギターなりウクレレなりを弾けばよいし、映像はビデオカメラを回せばよいし・・・。
コンピュータは、人間の好奇心が向くことについて、高速かつ大量な情報処理能力をバックボーンとした物まね能力で、その体験をする環境を準備してくれます。
コンピュータを所有しているということは、様々な体験をするための環境を提供してくれる、ドラえもんの四次元ポケットを持っている状態に等しいと言えます。

しかし、これだけ述べたとしても、それはコンピュータの本質的な魔力が見せる幻想に過ぎないような気がします。
結局のところ、目的と道具の主従逆転と言いつつ、逆転していないような説明になってしまっているからです。

コンピュータを所有するということは、コンピュータを身近に置くということに等しいのです。
私の場合、最も身近なコンピュータは、今、触っているZaurusです。PDAというやつですが、最近、MicrosoftのOrigamiというコードネームのPDAに近い製品が話題になっています。
私は、Zaurusには、コンピュータを趣味とする、目的と道具を主従逆転させる、そういう人にとって、たまらない魅力があると感じています。
Origamiは全貌がよく分からないので、何とも言えませんが、おそらくZaurusのそういう魅力の部分は、Origamiは持ち合わせていないでしょう。
なぜ、コンピュータにおいて目的と道具の主従逆転が起こるのか、それをZaurusのことを考えつつ、考えてみたいと思います。
それは、次回。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。