8月4日から始まったスクーリング(3群)が、今日の試験で終わりました。全6日間、90分1コマの講義が1日に2回、試験を含めて12コマを1週間でやってしまう集中講義。
自分が受けたのは、前にも書いたとおり経済学特講「経済学の歴史を学ぶ」という午前の科目。夏期スクーリングは、午前・午後に分れているので、1つの群で最大2科目が受講出来るのですが、せっかく取った会社の夏休みだし、午後から会社に呼ばれることも覚悟して午前のみの受講にしたのです。
さて、その経済学特講には、事前に指定された2冊のテキストを読んで予習をしてから参加したことが功を奏したのか、なかなか面白かったなという印象。経済学の歴史ということで、テキストはトマス・マンに代表される重商主義から、ケインズやシュンペーター、さらにクルーグマンといった現代の経済学者までが扱われています。その中で、講義が行われたのはトマス・マンからマルクスまで・・・というか、実は最終日の今日の前半の講義を欠席したので、そこでケインズとかやったかも?試験はマルクスまでだったのですがね。
この1週間で、各時代を代表する経済学者の名前と、その考え方のあらすじは理解出来たと思います。歴史を追っかけて学ぶと、その進展のさまが手に取るように分かるので、理解が進みます。いきなり現代経済学に手をつけると、なぜそういうことが議題になるのかが、理解出来なかったりするんですね。やれ労働がどうした、貨幣がどうなった、貿易が、需給関係が、価格が・・・と言われても、何となくキーワードだし、大事なんだろうけど・・・という程度になってしまうのですが、歴史が背景にくっついてくると、それはもう労働というのは経済学の一大事だし、そうやって現代経済学で当たり前に出てくる様々なキーワードが、有機的に結び付いてきた実感があります。
例えば、(これは講義で出た話ではないのですが)コンサートのチケットをオークションで高値で売ったりするテンバイヤーといわれる人がいますが、これは差額によって利ざやを稼ごうとしているわけで、経済学史風には重商主義的だと言うことが出来ます。18世紀の商人のスタイルと同じなんですね。これをマルクスはG-W-G′という資本の一般定式で表現しているわけで・・・。ということで、卑俗な例でしたが、こういう講釈も出来るようになったのも、このスクーリングの効果ではないかと思います。
ところで、スクーリングでの学習は、やはり講師の息遣いが感じられるというか、何が大事で、何が余談なのかということを体で読み取れるのが非常に良い点だなと感じました。その余談でも、何かその科目に関係しているわけで、そういうのは楽しいもの。今回の講義では、法政大学に関係した人の話とかが良く出てきていて、そういうのは母校意識の醸成になります。法政大学は昔はマルクス経済学のメッカだったとのこと。現在はどうしてもマルクス経済学の評判が悪いために、そういう先生も少ないようですが、このような話はやっぱり面白い。
また、使用したテキストに対して「これは言い過ぎだよね」とか、ある意味で批判するような話も出てきたのですが、こういうのは大学での講義ゆえだなと。義務教育だと教科書に文句を言う先生なんていないですからね。これもまた面白いと思ったところ。
さて、そんなわけで試験の成果も自分的にはまずまずだったと思うし、おそらく単位が取れるだろうと期待していますが、明日からはまた通信学習の開始。このスクーリングで興味を持つことが出来た経済学史が、商業学科でも科目として存在しているので、これを一気に攻めて行きたいなと思っております。