コンピュータの価値を考えると言って、実際には何をしようかと考えた。
私が、まず最初にやったのは、本を読むことである。
コンピュータについて考えるのに、コンピュータを使わない。考えてみれば、不思議な話だ。
それはさておき、いくつかの書店を回ってみた。
コンピュータ関連書籍は、どこの書店に行っても棚1つ分くらいはある。
それなのに、よく見てみると、コンピュータそのものの価値について書いてあるような本は見当たらなかった。
みんな、コンピュータを使うと何が便利になるのか、どんな価値があるのかについて、理解しているのだろうか。
みんな知っていて、私だけ知らないのだろうか。
そうして、まず手に取ったのは「Web進化論」だった。
まぁ、何を今さら・・・と言うなかれ。
Web進化論に書いてあることは、概ねWeb2.0の文脈で言われていることだから、私はそれなりに理解しているつもりだ。
もちろん、これだけきちんとまとめられているし、そもそも書籍という形態を採っているのは珍しかったりするから、重要な文献である。
そこから読み取ったコンピュータの価値は、次の10~20年の経済、文化の土壌というか舞台を作り出すもの、という偉大なる価値であった。
人々が価値を置くものが、モノから情報に移ってきた。情報を扱うというのは、コンピュータが得意中の得意とするところだから、そこでコンピュータが脚光を浴びるのは当然である。
さらに、コンピュータが誰でも手に届く場所にあるということが、重要だ。いわゆるチープ革命というやつだ。
そして、情報が価値を持つのは、それが交換された時だ。情報は、誰かの胸の内にある状態では、情報と言わない。閉ざされた1台のコンピュータ上にあっても同様だ。
だから、ネットワークが必要になる。コンピュータとコンピュータがつながって、情報は交換される。
その交換の範囲が全世界に広がるのがインターネットであり、それもまたチープでなければ意味がない。そして、それは既に十分にチープなのである。
そう考えて行くと、Web2.0の文脈における、コンピュータの価値とは、「情報をローコストでどこの誰とでもやり取りできる」ということになりそうだ。(間違えてほしくないが、Web2.0の価値ではなく、Web2.0におけるコンピュータの役割の話をしている。)
となると、次は、情報の価値に話を進めなければならないようだ。
私個人の話をしよう。
2月に引っ越して、約1カ月の間、私は携帯電話以外のインターネット環境を持たなかった。
驚いたことに、その期間、私はPCの電源をほとんど付けずまま過ごしたのである。
無意識に、私の中でPCの価値=インターネットになっていたということだ。
子供のころまで戻ると、私が区役所で夢中になっていたキャプテン、ワープロを買ってから始めたワープロ通信、PCを手に入れると当然にパソコン通信となり、Windows95が発売されれば、インターネットと、常に情報のやり取りのための、コンピュータであった。(私は、あまりゲームをしなかった。)
コンピュータの価値=情報のやり取り、というのは、私自身の実感とも符合しているようだ。
今のところ、それで結論付けられそうだが、もっと考えてみようと思っている。