半藤一利さんの「昭和史」を読んでいます。
以前、ヒストリーチャンネルで松平定知さんと半藤さんの4回シリーズの番組「半藤一利が語る昭和史」も見ていたのですが、その底本です。
こんな本まで電子書籍になっているのですね。良い時代です。
昭和という時代は最初の20年は戦争に突っ走った暗黒の時代でした。「昭和史」は2分冊になっていて、まず終戦までで1冊となっています。いまのところ、この1冊目を読み終えて、2冊目(終戦から昭和の終わりまで)の途中まで読んでいるところですが、1冊目の終わりに半藤さんの考える戦前昭和史から学ぶ5つの教訓がまとめられています。
この5つの教訓は、日本人の深層心理を見事に描いていると思うので、ぜひ覚えておきたいし、シェアしたいのです。
国民的熱狂をつくってはいけない
ひとことで言えば、時の勢いに駆り立てられてはいけないということです。熱狂というのは理性的なものではなく、感情的な産物ですが、昭和史全体をみてきますと、なんと日本人は熱狂したことか。マスコミに煽られ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威をもちはじめ、不動のもののように人びとを引っ張ってゆき、流してきました。
たしかに日本人はそういう側面があるように思います。最近だと小泉ブームだとか、政権交代するまでの民主党ブームだとか。
最大の危機において日本人は具体的な理性的な方法論をまったく検討しない
これは耳が痛い。半藤さんは「自分にとって望ましい目標をまず設定し、実に上手な作文で壮大な空中楼閣を描くのが得意なんですね。物事は自分の希望するように動くと考えるのです」と述べています。日本人は最大の危機の場面では、抽象的な観念論を非常に好むというのです。
震災後の福島の原発について思うと、原発で大事故があると困る。だから、そういう困ることは起きないのだと考えるようにしようという発想が根底にあったように思うのです。だから、具体的で理性的な危機対応が出来なかったのではないでしょうか。
日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害がある
戦前においては、「陸軍大学校優等卒の集まった参謀本部作戦課が絶対的な権力をもち、そのほかの部署でどんな貴重な情報を得てこようが、一切認めない」ということがあったようです。こうしたことは、日本の大企業などでも今もあるように思います。
国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握しない
第二次世界大戦で、日本はポツダム宣言を受諾して終戦を迎えたと思っているし、当時の政府もそう思っていたようなのですが、実際はポツダム宣言の受諾は意思の表明でしかなく、それで終戦というわけではないのです。あくまで終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければならない。
つまり、国際社会においてやるべきことが理解できていなかったということです。
何かことが起こった時に、対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想をする
第二次世界大戦においても、真珠湾攻撃までは考えていたのだけど、それが予想以上に上手くいきすぎて、その後どういう作戦をとるか考えていなかったというのです。それに、いかに戦争を終えるかということも考えず、戦争を始めてしまった。日本では、すべてのことがこの調子で、大局観できちんと計画を立てることが出来ないようなのです。
これも、日本の政治を見ていると頷けることですね。いや政治だけじゃない。あなたの組織もそうではないですか?