日本国憲法における国民主権について述べる。
国民主権は、基本的人権の尊重、平和主義と並ぶ、日本国憲法の三大原則の1つである。ここでの主権とは国家の最高決定権を指す最高の権力のことであるが、その最高の権力を持つ国民とは誰のことだろうか。このレポートでは、その諸学説をまとめ、自分なりの回答を見いだすことを試みる。
主権という概念は、17~18世紀にフランスで生まれたものである。まず、王制の理論的支柱としての君主主権に端を発し、国民主権、人民主権と続いた。フランスで展開された主権論の特徴について、日本国憲法では当てはまらない君主主権を除いて、以下にまとめる。
国民主権は、国籍を持つ国民(ナシオン)を主権者とするが、あくまでその総体として認識し、そこに個別の政治的意思は見いださない。議会は国民の名のもとに運営されるが、制限選挙で選出された議員は、国民全体の代表であるために、自身の選出母体の意見を代弁する訓令委任が禁止され、国民全体の利益のために個人の良心で活動する。
人民主権は、社会の成員たる人民(プープル)を主権者とする。プープルは、個別の政治的意思を持つものとする。その政治的意思を広く反映するために、議員は普通選挙で選出され、訓令委任を前提として、自身の選出母体の代弁者として活動する。人民主権における議会は、民主主義を間接民主制として徹底する制度である。
日本国憲法における国民主権をどう理解するかにあたって、日本の憲法学はフランスの主権論議を参考にした論議を行った。ここで国家の最高決定権を持つ国民とは誰かを見定めるに、これを確認しておく。
第1に観念的統一体説は、ナシオン主権論に影響を受けた説である。主権者たる国民には、個々の政治的意志を求めないので、観念的な実体に留まる。この説での国民主権は、相対的に主権が君主に存在しないと示しているに過ぎないとするのみであって、権力の正当性原理として理解する。
第2に自然人説は、プープル主権論に影響を受けた説であり、主権者としての国民を、個々に政治的意志を持つ具体的な人間の集合とみなしたものである。ここで主権者たる国民は、その意思を反映する制度を求める存在である。
第3に総合説は、「主権は国民に存する」という規定には、2つの規範的な意味が含まれるとする。1つは「すべての国家権力行使の正当性の源は、観念的統一体としての全国民に求められるべきだ」という正当性契機と呼ばれる規範であり、もう1つは「有権者が国家の最高決定機関だ」という権力的契機と呼ばれる規範である。
ところで、主権者たる国民は、国家の最高決定権を持つのであるから、その代表的な権利行使手段として国会議員の選挙を考える。ナシオン主権論では、有権者は単に国民代表の選挙においてのみ登場する。選挙後は、国民代表が国民の名のもとに行われる議会で、国民全体の利益にかなう活動をしてくれるように願うのみである。一方、プープル主権論では、プープルの選出した議員は自身の代理として活動するはずであり、さらに部分的には政治への直接参加も要求するのである。
日本国憲法に目を向けると、国会議員の選挙以外に、(国政レベルの)政治に直接参加する制度が準備されている。憲法改正時の国民投票と、最高裁判所裁判官の国民審査がそれである。このような制度を準備する日本国憲法は、ナシオン主権論よりもプープル主権論に近いといえる。
それでは、日本国憲法における国民主権は、自然人説のようにプープル主権のことと理解し、主権の存する国民とは、有権者のことと考えれば良いのだろうか。国会議員の選挙が普通選挙であることからも、それは妥当のようである。しかし、その選挙から選ばれた議員が、半代表として、国民代表的な意味合いを併せ持って活動していることは理解に苦しむ。
では、総合説と理解するとどうだろうか。その権力的契機は自然人説と同じく理解できる。この場合の主権者は当然に有権者である。一方、議員が半代表である点は、プープル主権論的に選出母体の意思を反映するべきであると同時に、ナシオン主権論的に国民全体の利益を追求することを目指して自由な活動を認めていると理解すれば無理はない。ここで正当性契機の側面が現れ、主権者を有権者から国民全体に拡大させている。つまり総合説での国民主権とは、国民全体が権力の源泉であり、選挙権に代表される国民の政治参加を行う主権者は有権者に限定し、さらに訓令委任を認めて民主主義を徹底し、その利益は極力国民全体に還元することを目指すものといえる。これは、概ね憲法前文の文面とも一致する。この総合説こそ、日本国憲法における国民主権を最も良く表現した説と思われる。
私は、以上の検討に基づき、主権者たる国民は、国民全体であると考える。その点でナシオン主権論的である。しかし、日本国憲法は、民主主義を徹底するために多分にプープル主権論側に向かっているとも考える。つまり、日本国憲法の国民主権とは、プープル主権化の進んだナシオン主権と考えるのが妥当なのである。
<参考文献>
渋谷秀樹・赤坂正浩「憲法2 統治 第2版」有斐閣アルマ、2004年
樋口陽一(編)「講座憲法学2 主権と国際社会」日本評論社、1994年