さて、私はいま、秋葉原にいる。電気街の外れにあるドーミーインというホテルだ。私は何かあるとホテルステイをする。まぁ、気分転換だったり、何か今日という一日を印象深くするためだったりする。
ここ1週間か10日くらいの間は、自分にとって何か吹っ切れた感覚を持つ期間だった。自然で、そして快適だった。不思議なことに思い悩むことがなかった。もちろん、デパケンやゾロフトといった薬を飲んだ作用とかではない。最近は飲んでないのだ。
それは、この1年ほど続けてきた自分探しに、終止符が打てそうな実感を得ているからだ。しかも、その終止符はずっと前から目の前にあることで、自分の気持ち一つで簡単に手に入れることが出来ることであった。
それは、自分というのは、結局、コンピュータと共に歩んできた人で、コンピュータなしでは今までの自分の人生は考えられない。そして、SEという仕事は、自分という人間が社会の中で生きていくために最も効果的な仕事だ。色々な人から「向いている」と評価され、しかも自分の能力を活かせていると実感できる仕事があったことに、改めて気付いた。探していた自分は、今まで生きてきた自分でしかなく、私にとって、新しい自分などというものは、幻影に過ぎなかったようなのである。
もう一つ、今までのブログを一時休止して、はてなダイアリーを始めたが、書いていること、ログを見て読まれているようであることは、ネットやケータイとハロプロ。つまり、デジタル+モーニングで、それは以前からやっているブログの名前そのものである。digitalmorningという名前のブログは2004年からやっているが、実のところ、ちゃんと自分というものが分かっていたのである。自分探しは、灯台下暗しだったのだ。
だから、これからは、今までもやってきたことを、自分の中で再評価して、それに集中すれば良いのである。そう考えれば、グッと気が楽になった。気をつけるべきは、脇目を振らないことくらいである。脇目を振りまくって、そこから未知の何かを見つけだすことに比べれば、どれだけ現実的で、地に足がついていると言えるだろう。
地に足がついていることは、鬱にならない特効薬のように思う。どれだけ気を楽にして生きていく技術だろう。
そんなことをいま、思っているのである。1年以上かかった。27歳になる前くらいから考え始めたなぁと思ったら、私は既に28歳になっていた。それでも、こうやって、ちゃんと認識できたのはハッピーなことだと思っている。