産業能率大学と上野陽一

Sanno text

こんなテキストが金曜日にどさっと届きました。
私は、4月1日付けで産業能率大学の学生になります。といっても通信教育課程なので、スクーリングや試験を除いては、通学する必要はなく、仕事も今までどおり続けます。
3年次編入なので、最速では2年間で卒業となります。
ま、私にとって大学通信教育というのは初めてではなくて、挫折した経験があるので、今回は久しぶりのリベンジです。

産業能率大学とは

さて、私が編入した産業能率大学は、それほど有名な大学というわけではないので、ご存知ない方が多いでしょう。関東の高校にいて大学受験した人なら、名前くらいは聞いたことがあるかもしれません。
あと、社会人向けの通信教育をやっているので、その方面で知っている人なら多いかもしれません。ある程度の規模の企業で、社員向けに通信研修コースを準備しているところなら、そのコースの中に産業能率大学が提供するものが多いはずです。(私の顧客企業で研修コースを見せてもらうと、やはり産業能率大学のものがありました。)
それから、年末などに書店に行けば、サンノーダイアリーという手帳が出ていますね。あれも産業能率大学の仕業です。

学校法人産業能率大学の下に、産業能率大学(学部と修士課程の大学院)、自由が丘産能短期大学と、社会人向け通信教育等を行う総合研究所等を設け、学生数でいうと通学している学生が3,700人ほどなのに、通信の学生が倍以上の7,700人ほどいるという大学(短大)です。さらに、財務的には学生納付金より総合研究所等での事業収入の方が多いようです。

キャンパスは伊勢原と自由が丘、代官山にあり、通信教育課程では自由が丘を使います。

日本で初めての経営情報学部

4年制の産業能率大学が開学したのが1979(昭和54)年のことですが、その際は経営情報学部のみの単科大学でした。(その後、経営学部を設け2学部になっています。)
この経営情報学部というのは、今ではあちこちの大学で設けられていますが、その元祖は産業能率大学だったようです。

但し、現在では経営情報学部はなく、情報マネジメント学部に名称が変更されています。
私の在籍する(ことになる)通信教育課程は情報マネジメント学部に設けられているので、私も日本初の経営情報学部の後進ということになりますね。

日本初の経営コンサルタント、上野陽一

(学校法人としての)産業能率大学の創立者は上野陽一で、1925(大正14)年に日本産業能率研究所を創立しています。(その後、1950(昭和25)年に短大を開学します。短大の方にはその名もズバリ「能率科」があります。)

その上野こそ、日本初の経営コンサルタントと言われています。当時は能率技師と言ったようですが、米国からテイラーの科学的管理法を導入し、現在のライオン(歯磨き)を指導しました。さらに、動作研究で有名なギルブレスにも知己を得ています。
テイラーとか、ギルブレスとか、中小企業診断士の勉強で出てくる偉人たちと、関わりの深い人だったのですね。

ちなみに、私は通信教育課程で準備されているコースの中で、経営コンサルタントコースを選択した(とはいっても、それで決まるのは3年次の配本科目のみで、4年次は自由選択であり、必修科目もコース間の差異はない)のですが、日本初の経営コンサルタントが創立した学校で学ぶというのも、一つの縁です。

上野陽一は日本における心理学の第一人者でもありました。
「心理学通義」という本を出したのが1914(大正3)年です。

能率5道

「能率の父」と呼ばれる上野は、当時の日本では「能率といえば上野陽一」でしたが、戦争が激しくなってくると、現場の第一線から退きます。戦争のために能率を使うことに嫌気がさしたようなのです。そして、能率の研究を「能率道」という哲学的な領域にまで進めます。

能率5道と能率10訓をまとめたのですが、ここで能率5道を紹介します。
(能率5道と能率10訓は、「ファイブライン」として産業能率大学のエンブレムにも活かされています。)

「正坐」 ワレラ ワ 誓ッテ 正シキ 姿勢ヲ タモタン
     正シキ 内容ニワ 正シキ 形式ヲ 必要トス
「正食」 ワレラ ワ 誓ッテ 正シキ 食物 ヲ トラン
     肉体ヲ ツクリ 精神ニ 培ウ 原料ナレバ ナリ
「正学」 ワレラ ワ 誓ッテ 正シキ 学問ヲ 究メン
     学ワ 須ラク 東西ニ 通ジテ 偏ス ベカラズ
「正信」 ワレラ ワ 誓ッテ 正シキ 信仰ニ 生キン
     正シキ 信仰ワ 正坐 正食 正学ヨリ 生ズ
「正語」 ワレラ ワ 誓ッテ 正シキ コトバ ヲ 用イン
     正シキ 道ワ 正シキ コトバ ニ ヨッテ 伝ワル

いかがでしょう。仏教の八正道にも通じる内容ではないでしょうか。
上野陽一の晩年の著書には般若心経に関するものもあるので、東洋哲学も、能率道に影響を与えたのだろうと思います。

戦争とは一線を引いた上野ですが、能率とは何ぞやということを考えると、それは頷けることです。戦争のために能率の考え方を使うということこそ、能率とは正反対の考えです。

「能率」とは、ただ何かを迅速にこなすことではありません。効率とは違います。
各人の持ち分を、ムリなく、ムダなく、発揮させることこそ能率です。ムリやムダがあると、ムラが生じます。(ムリ・ムダ・ムラの理論も能率道には含まれます。)

それはマネジメントそのものではないでしょうか。だからそれを企業に入って教える人を「能率技師」と言ったのでしょう。

中小企業診断士にもリベンジ

ところで、私の選択した経営コンサルタントコースには、中小企業診断士の科目がすべて含まれています。(もちろん、それだけでは卒業単位に大幅に足りないので、別の科目もたくさんあります。)
中小企業診断士系の科目については、テキストが産業能率大学オリジナルではなく、受験指導校として有名なTBCが提供するものを、そのまま使います。
総合研究所の方で経営について包括的に教えるための次世代リーダー育成プログラムSBCP(Structured Business Core Program)が準備されており、それに準拠した科目も豊富に提供されているのですが、資格学習用はまた別なんですね。その辺も能率の考え方なのか・・・。(これは効率か?)

それはさておき、会社を作ってからというもの、その会社の運営としても、私自身が顧客に提供するサービスにしても、経営の知識が必要なことが明確になってきています。
それがこの際、大学に入った理由なのですが、同時に中小企業診断士の資格にもチャレンジ(リベンジ)したいと思います。ここは自分を伸ばすための勝負のしどころということで、頑張っていきたいと思います。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。