自己表現とホームページについて

いかにもホームページである。(このエントリーは、2000年2月5日に書いた文章を、2016年7月に復刻したものです。)
いかにもホームページである。(このエントリーは、2000年2月5日に書いた文章を、2016年7月に復刻したものです。)

このホームページを作ったことは、私にとって何でもないことである。なぜなら、私は多くのホームページを作ってきたし、今回の内容は至って普通であり、ありふれた、私にとってマンネリ的なものであるからだ。

あえていえば、この文章をホームページに掲載することは珍しいかもしれない。たまに熱く語る文章を掲載したこともあったが、これほど基本的な部分をつくことは初めてである。とにかく、今まで多くのホームページに携わってきた(自分自身の個人ページ以外にも関係したことがあるので)なかで感じた、自己表現とは何かということを少し考えてみたい。

ホームページとは自己表現である。それが特に個人のホームページであるならば、なおさらである。このことは、このホームページの冒頭にも作成コンセプトとして掲載したことである。ホームページの中で自己表現の要素たり得る構成部分は、掲載される文章、ホームページのタイトル、ロゴやイラスト、色使いなどのデザインである。また、更新回数や頻度、コンテンツ(内容)の配置からも自己表現を感じることができる。要するに、ここで言っている自己表現とは個性のことであり、作られたホームページから作者を感じることができるかということである。

たとえば私が文章を書くとき、書き出しの自分自身を表す言葉をどうするかを考える。「私」とか「僕」とか「俺」とか「オイラ」とか、そういう自己代名詞である。最近、ホームページでは「私」を使うことが多い。これは年齢的要素も関連していると思う。私がホームページを作り始めたときは17歳くらい(現在は20歳)だったと思うが、その時に「私」と呼ぶのは少し気恥ずかしいものであった。それでも、わりと「私」を使っていたのは、私がホームページをパブリックな場と考えていたためであり、ある意味、舞台と考えていたからだ。舞台に立てば、大人も子供もないという考え方である。

また、言葉の使い方も考える。私自身、文章を書くことはまったく苦にならない。むしろ、好きなくらいであるが、決して文章が上手いとは思っていない。これは謙遜で言っているのではなく、私特有(でもないが)の特定の言葉のくり返しや、今使ったような括弧による注釈の多さ、「私は」などの自己代名詞を書き出しに使うことが多いことなどである。また、文末が同じ形で終わることも多いような気もする。

ここで特定の言葉のくり返しや、文末の同形はボキャブラリの少なさによるものだろうか。さらに、私自身の言葉の好き嫌いも関係している。私の好きな言葉といえば、「考え方」という言葉である。それは、私が「考え方」こそがその人の固有の特性であり、つまり個性だと感じているためだ。

また、括弧による注釈の多さは、私が文章の結末を考えないままに書き始めてしまうためである。私が文章を書くとき、たいていは書き出しと全体の雰囲気だけが頭に思い浮かんでいるに過ぎない。途中の論理展開はおろか、結末は分かっていないのだ。だから、時には何を言いたいのか分からないような文章になってしまう。これは悪い癖である。一方で、考え方によれば、これは言葉、つまり自分の思考の旅なのだろう。自分の思考の旅を文章化しているだけだ。多くの場合、自分の考えをまとめているだけに過ぎず、ホームページでの公開に値するものかは疑問である。しかし、公開に疑問符が付くようなものを、あえて公開するのは個性であり、拙い文章技術は、良い意味では味であって、やはり個性である。

ところで、このように、何事も個性で片付けようとするのは反則かもしれない。単なる逃げと言おうか。文章は秀逸であるほうが、読者は当然読みやすいわけであり、作者、筆者の考え方も効率的に伝わるだろう。また、考えのまとまっていない文章というのは、何をどうしても落第であって、救いようがないかもしれない。だから、そんな文章を公開するのは単なる無駄と切って捨てることも可能である。

それでも私は公開する。少なくとも私にとっては考えをまとめるためにも有用であり、後で振り返って読んでみることを加えると、さらに有用である。また、ネットワーク市民(ネチズン)にとって、ホームページは唯一、人格を継続的に表現する場所ではあるまいか。数少ない、または数多いかもしれない、私を感じたい人にとって、ホームページは、ネットワーク上で私を感じることのできる場所であるから、やはり人格(つまり個性)を継続的に表現する場所として価値のあるものであると言える。逆に、公開している私にとっては、ホームページは常に誰かに自分を感じてもらえる場所を確保することであり、親愛な人や、親愛になる可能性のある多くの第三者との接続点として機能するのである。

インターネットは人と人とをつなぐ、コミュニケーションの糸の一つである。そして、ホームページはその糸の間にある拠点であり、人を感じる休憩場所である。だからこそ、私はホームページを作り続け、自己表現を行うのだ。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。