最初に長い引用から始めます。
真田は大学で化学を専攻し、卒業後は小さな町工場の技師になった。そこは同族会社であり、研究設備もろくにないようなところであった。つまり真田は、社内の地位の昇進の面でも専門の業績の面でも、前途のあまり明るくない状態に置かれたのである。このとき、真田は何をしはじめたか。カードを作りはじめたのである。
戦前のことであるから、まだ高分子化学というような学問の名前もできていなかったのであるが、真田は接着剤に興味を持っていたので、接着性に関係のある文献のデータは残らずカードにとって、分類しておくことにしたのである。
真田は文部省の古い事務官の娘である文子と平凡な結婚をして地味な生活に入った。夕方、勤務先から帰ると、真田は妻や娘といっしょに食卓につき、夕食後は三畳間の板敷きの部屋に引きこもって、手に入る限りのリポート類や、内外の研究雑誌から、接着剤に関係のある構造式や実験プロセスをカードに書き写し続けた。こうして平凡な町工場の技師は大学卒業後の二十年間を送ったのである。
この間に、真田はときどき、「これは徒労だ、単に自己満足のための収集だ」と思って気の沈むこともあったし、また、「そのうちこれが錬金術のように思わぬ結晶を生み出すかも知れない」と考えたりして、明るい気分になったりすることもあった。しかしともかく戦前・戦中・戦後を通じて彼はこれをやり続けた。そしてまだカードに載っていない物質と、接着性物質との実験を少しずつ自分でやっては書き込んでゆくこともやった。
そうして真田は中年になったのだが、あるとき、気象台に勤めていた友人が推計学の話をしてくれたのが一つの啓示となって、いままでのデータの推計学的な処理をやり、いろいろな接着剤の性質を数式で示すことに成功したのである。
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私は化学のことを知らないから、こういう話が実際にあるかどうかは保証できない。しかし伊藤整はそれなりの信頼すべき筋からタネを仕入れたのだろうからまんざら嘘でもないと思う。少なくとも私の専門分野の方で言えば、一つのテーマに関するデータを、内外の文献から二十年以上も集め続けておれば、一かどの業績をあげうるだろうということは保証できる。
これは、カードシステムの効用について、伊藤整の小説「氾濫」の主人公の真田佐平のケースを取り上げて述べたものです。
これを始めて読んだのは、私が小学生だか中学生だかの頃で、その時点で知的生活に興味を示すとは、なかなか早熟な読書傾向であったと思いますが、それはさておき、私はこの真田の生き方に一つの憧れを抱いたのでした。
著者である渡部昇一氏の「一つのテーマに関するデータを、内外の文献から二十年以上も集め続けておれば、一かどの業績をあげうるだろうということは保証できる」という力強い言葉を、何よりの後押しと感じたものでした。(著者自体はカードシステムに懐疑的です。「一冊分のカードを取る時間と労力で、二十冊の本を読んで要所に赤線がひけるのだ、ということを悟るべきである。」とすら述べています。しかし、専門家が専門の研究を行う場合と、本を思うように買えなかったり本を置く場所がないという場合に、カードシステムを認めています。真田の例を後者に関して取り上げられているのです。)「知的生活の方法」の初版は1976年です。私が今、読んでいるのは2004年に出ている第70刷であり、実はもう1冊、その幼少期に古本として100円で買った 1984年の第36刷も持っています。
今から30年以上も前に出た本ですが、それが未だに新しい刷が出ているのですから、今でも読む価値があるということであり、私自身としても十分に価値があると思っています。「やり方」は真似しなくてもよいのです。パソコンがあってネットがあるこの時代に、いちいち京大式カードを買い込んでくる必要はあまり感じません。しかし、ブログを書いたり、自分宛のGmailでメモを残したりするのは、カードシステムと同じことです。
梅田望夫さんが「ウェブ進化論」において、ブログが究極の知的生産の道具であると述べているところがあります。
- 時系列にカジュアルに記載でき容量に事実上限界がない
- カテゴリー分けとキーワード検索ができる
- 手ぶらで動いていてもインターネットへのアクセスさえあれば情報にたどりつける
- 他者とその内容をシェアするのが容易
- 他者との間で知的生産の創発的発展が期待できる
といった、長所を挙げています。
私が、知的生活の道具としてブログを使おうと思ったのは、これを読んでからです。
私がライフハックを考えたり、ブログに本を読んだ感想や、思いついたことなどを書いたりしているのは、幼少期に抱いた知的生活への憧れが何より大きいのです。