「自称」ニートと「真性」ニートの差はどこにある?

ニート的人生設計 – phaのニート日記
朝は好きな時間に起きて、仕事などで電車に乗ったりどこかのビルディングとかの一室に通ったりする必要はあまり無く(電車やビルや人ごみは僕を消耗させる)、仕事をするとしても週3日くらいで、そのとき自分のやりたいことに没頭できる環境があり(今ならプログラミングとか読書)・・・(以下略)

たぶん、そういうのはニートって言わないんだろうと思うが、たしかに自分も憧れるライフスタイルだ。別に働くのが嫌いとか、一日中部屋に閉じこもってベットで寝ていたいとか、そういうわけじゃない。ただ、朝の9時にはどこかの会社のオフィスにいて、17時半まで働いて、で、帰る。いや、帰れないんだけど。それが月曜日から金曜日まで続く。時に、土曜日とか日曜日のこともあるんだろうけど。まぁ、そういう一般社会人的日常だけが人の生き方じゃないよねといえば、そういうことだ。

ご自身で十分に予期されているようだが、「甘い」とか「世の中なめてる」という反応は往々にしてあるのだろう。ただ、まぁ、こういう人がいちばん文化を作るものだ。圧縮新聞とかそういうプログラムも一つの文化的作品であるし、さらに期待したいのは「新しいライフスタイル」とか「ロールモデル」とか、そういう文化も切り開いていって欲しいと思う。そんなに肩肘張らないかもしれないけれど。

僕はいつの時代に生まれても組織とか社会とかに不適応でふらふらしているタイプ人間だと思う。でも、そんなふらふらしている人間がこれだけ自由にのびのび生きられるのはネットがある今の時代のおかげだと思ってる。

閑暇な人が文化を作るという側面は、世界史に出てくるような昔話ならば、「市民」と呼ばれていた人たち、つまり日常的なことは奴隷にやらせていた人たちの特権であった。 それが、ネットという存在があることで、似たような環境が出来たというか、そういうことかもしれない。
もちろん、ネットが奴隷の代わりに日常的な仕事をこなしてくれるわけではない。それに、ネットが直接的にお金を稼ぐのも、少しは出来るようになったが、それに依存できるほどではない。phaさんの場合は働いていたときの蓄えがあるようだし、ネットで得た名声がこれからお金を稼ぐようになるかもしれない。少なくともそういう期待感がネットにはある。
もう一点、ネット上での活動のコストはかなり安い。ブロードバンド環境は非常に安く手に入るし、ハードウェアだってそうだし、あとはちょっとしたことの出来るレンタルサーバを借りれば、個人的にちょこまかとやる程度のことは、大抵出来る。
「ウェブ人間論」で平野啓一郎が、こういうことを言っている。

歴史的に見て、公的領域と私的領域という区別の発想が最も厳密だったのは、例えば古代ギリシアです。そこでは、公的領域に私的領域の問題を持ち込まないということが徹底されていたし、まず、私的領域の問題に誰も関心を持たなかったんですね。そこでいう私的領域というのは、ご飯を食べたり、寝たりという生存に関わることが第一で、それから家族と交わることや内面に関わることなどがあり、公的領域では、言論と活動とを通じて、自分がどんな人間かというのを他の人たちに認めさせて、ひいては社会に認めさせ、記憶として留めさせる、ということが行われていた。その意味で、私的領域というのは、自分の存在を承認してもらう場所から弾き出されているという、否定的な意味があったようです。
そういうことが何で可能だったかというと、一つには奴隷制度があったからですね。生存のために自分で働く必要がなかった。ところが、奴隷が解放されて、各人が経済活動を通じて自分で生きていかなければならなくなると、そうした衣食住という元々は私的領域と考えられていた問題が、公的領域を圧迫し始めて、最終的にはそれを消滅させてしまい、代わりに社会的領域というようなものを成立させる。
(中略)
実は僕たちが公私の別と言うとき、そこでいう「公」というのは、僕たちがどんな人間であるかというのを表現できて、それを受け止め、記録してくれるかつてのような公的領域ではなくて、経済活動と過度の親密さによって個性の表現を排除してしまっている社会的領域に過ぎないのではないか、ということです。そうした時に、「ウェブ」という言葉でアレントが表現したような、人間が自分自身を表現するための場所として、いわば新しい公的領域として出現したのが、実は現代のウェブ社会なんじゃないかということを僕はちょっと感じているんです。

ずいぶん長い引用となってしまったが、phaさんのようなあり方は、社会的領域を極小化させて、その分だけ公的領域を広げた姿なのではないかと思う。
phaさんが、「組織とか社会に不適応」と自らを語っているのがまさにそれで、社会的領域での活動を意識的に避けている。なぜ、社会的領域を避けられるのかという議論は別の議論として置いておくとして、今のところ避けることに成功している。そして、私的領域に逃げ込んだとすれば、それは本当のニートだ。phaさんはその分、公的領域に突き進んでいる。だから、自分のことを「ニート」と呼ぶのはひとつのキャラクター付けとしては面白いけど、ちょっとズルい。
まぁ、phaさんの真似をして、公的領域に進んで「自称」ニートになるか、私的領域に進んで「真性」ニートになるかは、この時代ならではともいえる、一つの賭けである。

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この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。