ただ、前に引用してもらったときからの私は、基本的に「あーSI業界やめようかなぁ、どうしようかなあー」というモチベーションであって(<2年は長いよ!)、ありていに言えば伸び悩みというか、どっちかというと後退している。そんな中で氏はどんどん有名になっているようで…。やっぱり、「熱を持つ」というのは大切なことだよなぁとか思う。鶴瓶師匠も言ってたよ。
下記エントリは、SIerの中で揺れ動く197X世代の心情をよく表していると思う。
構造上の問題を抱えた古いSI業界をさておいて、外の世界に飛び出していく。それが、今のところIT業界を楽しいと思ういちばんの近道だと思う。しかし、それが出来るのはスキルを磨いた「本当の技術者」に限られるのではないか。
* 「本当は楽しいIT業界」は本当の技術者のもとへ
恐らく、同様の問いを抱えて悩んでいる人がいっぱいいると思う。そんなYOUたちにこのエントリを捧げたい。ということで、そんなMEに捧げられたようなので、対句。
コードを書かなければわからないこともあれば、コードを書かなくなって初めてわかることだっていっぱいあるってことを、誰も言っていない気がする。 だから、オレが言う。そこの価値を今まで誰も語らなかったのといえば、そうではないでしょう。皆さんだって色々お話されているはずなんだから。それを DISるなんてあり得ないと思う。
僕は、けものみちを行こうと思う。たしかに、SI業界において「高速道路に乗って高く険しい道に挑んでいる人たち」というのは、ITスキルを極めている本当の技術者のことを指していると思う。要はコードを書いているギークな人たち。正統な技術者像だと思うし、そういう人がいてこそITはちゃんと世の中の役に立っているというのは、否定のしようがない。「実現してなんぼ」なのだから。
自分も思い起こせばギークになろうとしてたり、勤めていた中堅SIerの中ではわりとそういう見られ方をしていたというか、バリバリ仕事出来るスーツ派の同期から「技術のことは井上君が…」という紹介を新人相手にされてたり、上司とかからも「若手のエース」扱いされたりしたこともあって、まぁそんな時もあった。
それがギークでなくなったのは、「あー、こいつらには敵わないな」と思わせる後輩が現れたからだ。それと、当時、社内でWebシステム開発の技術者育成なんてちっともやってなかったということもあって、若手中心で組織を作らざるを得なかった。それ故、年齢は下でも経験の長い私とかが、どんどんリーダー格になり、顧客の前に立つようになった。だから、技術のことはそんな後輩に任せて、自分は自分の仕事をやろう…なんて思ったわけだ。コードを書くことはなくなって、開発の現場では管理したり設計したりであり、社内では技術開発に向けて上層部にプレゼンやったり…ってことになった。まぁ、自分自身もそっちが向いてるかな?って思ったということも、もちろんある。
そんな昔話はさておき、SI業界において「高く険しい道」がコードを書くギークだとすると、「けものみち」はスーツというわけだ。なるほど。コードを書かない仕事をやっている人というのは、その分、世の中を広く見るというか、持つべき知識も深さより広さだと思うし、あとは社会性とか、そういうところで強みを持つしかない。 それは、たしかに「けものみち」だと思う。
でも純粋なソフトウェアエンジニア以外の自分にアイディンティティを感じるのであれば、けものみちを行けばいいじゃないか。歩いてみなければ、そこに何が落ちているかなんて絶対わからないのだから。
うん、たしかに、そうなんだ。まさに「けものみち」スピリッツだ。
ただ、早とちりしてはならないのは、「SI業界で、コードを書かない仕事で…」ってなると、ゼネラリストタイプのマネージャーへのキャリアパスを想起しがちなんだけど、「けものみち」って言ってるのは、そういうことじゃないだろうということ。
ゼネラリスト的なキャリアパスというのは、それこそ舗装された高速道路。今まで、何万人だか何十万人だか知らないけど、踏み固められまくった道(エスタブリッシュメントってやつだ)。それがちょっとボロが出始めたので、その次に現れた高速道路が(というか、本来はそれが最も由緒があって正統なだけど)生粋の技術者というパス。だから、ここで「けものみち」って言ってるのは、どっちでもないんだと思う。スーツ着ててもね。まぁ、最初から「けものみち」って言っているんだから、今さら言うほどでもないだろうけど。
ま、そんなことをここまで書いてきて、ちょっとだけ、「これからもSI業界でやって行くのも良いかな?」なんて思った。なにせ、今年は「どうせ、いずれSE辞めるんだし~」くらいの引いた目線でこの業界を見てきたから。
何にせよ、「熱が重要」ってことなのだろう。