内省と反省

“少年を「変わっていける存在」と信じ、時に父のように時に母のようにまなざしを注ぐ教官たち。そして、自分と正面から向き合う大人と初めて出会い、戸惑いながらも立ち直ろうとする少年たち。”

今日21時から放送されたNHKスペシャル「少年院~教官と少年たちの現場~」を見ました。

わが子を殺めた少年が、2年かけてたどり着いた反省。「そのことが自分を良い方向に導いてくれた」という、殺めてしまったわが子への感謝は、切ないものですが、人間が生きていく上で「前向き」であることの大切さを、究極的に語ったものではないでしょうか。

自分の犯した罪(必ずしも刑法犯に限らず、自身の道徳観念上で悪いと感じるすべてのことにあたるでしょう)について反省するとは、一体どういうことなのか。それは、ただ単に泣いて過ごせば良いというわけではなく、無気力でいれば良いというわけではありません。そこから何を感じ取り、生きていくしかない自分の人生に何を与えるのか。それが「前向き」ということだと思います。

どこかで、英語には「内省」を示す単語はあるけど、「反省」を示す単語はないと聞いたことがあります。それが本当なのかは分からないし、ここで英語をどうこう語ろうとしているわけでもありません。
ただ、「反省」にはネガティブかつ外面的なイメージがあり、「内省」にはポジティブかつ内面的なイメージがあります。
重要なのは、前向きな内省を重ね、それが外面的にも反省したように見えるということではないかと思うのです。自分がどういう立場にいても、安易な反省を求めることには意味がなく、まずは内省を求めることが大切と考えています。

ちょっと社会的な記事でした。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。