日本国憲法における基本的人権について述べる。
日本国憲法において、国民主権、平和主義と並ぶ三大原則の1つである基本的人権(の尊重)は、18世紀的人権である自由権と、20世紀的人権である社会権から構成されている(我妻栄「基本的人権」1974年による)。制定当初より社会権を持つのは、日本国憲法が20世紀中頃に制定されたものであり、既にそうした憲法を持っていた米国のマッカーサー原案が元になっているためである。
97条を見ると、その本質として、「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」と書いてある。あくまで人類の努力の成果であり、日本国民(日本国憲法制定前においては日本臣民)の努力の成果と限定しないのは、日本国民(臣民)が市民革命のような経験によって自由を獲得したからではないためだろう。好意的に解釈すれば、20世紀中頃に、ほぼゼロから作られた日本国憲法は、その時点での人類の英知である。97条には社会権につながる文言がないのだが、25条で生存権として謳われている。
こうして考えると、日本国憲法における基本的人権を理解するためには、その人類の英知はどのように進展したのかを見ておかねばならない。
17~18世紀のヨーロッパにおいて、絶対王政からの市民の自由を求めた市民革命が勃興した。その成果として、フランスの人権宣言に代表されるように、市民の国家からの自由が根付いた。絶対王政が公共の福祉を濫用して私利私欲をはたらいたことの反動として、18世紀の人権は自由権が重視された。経済的には「機会の平等」による放任主義であり、産業革命によって経済的強者の資本家と弱者の労働者という格差が明確となった。そして、19~20世紀には経済的弱者に対する国家の積極的施策による「結果の平等」が求められることになる。ここに社会権が生まれる。また、市民革命によって遺棄されていた公共の福祉は、経済的弱者の保護を目的とした強者に対する権利制限として復活したのである。
日本国憲法が自由権と社会権で構成されるのは、こうした世界的、特に欧米の歴史からもたらされたものである。公共の福祉は、12条、13条などにおいて総則として取り入れられている。22条1項の居住・移転・職業選択の自由と29条の財産権で構成される経済的自由権では、特に「公共の福祉に反しない限り」、「公共の福祉に適合するやうに」と強調されており、結果の平等が意識されていることを明確にしている。これは、一元的内在制約説として現在の通説であり、二重の基準論として違憲審査基準になっている。
昨今、規制緩和などによる機会の平等を実現することが求められている。20世紀中頃までの世界の歴史は、機会の平等から結果の平等に進んだのであり、その寄り戻しのように感じられて面白い。ただ、それによって自由権一辺倒となり18世紀に戻ろうとしているのではなく、その一方でセーフティネットによる弱者保護の議論も進められ、自由権と社会権を両立して存在させようとしていることも見逃してはならない。
自由権のみを強調すると、特に経済的側面で社会的差別を生んでしまい、逆に社会権のみを強調すると、「パンとサーカスの民」ではないが、市民に甘えを生み、脆弱な経済につながる。単純に言ってしまえば、そのバランスが重要なのである。昨今の議論を見ると、私たちは改憲も視野に入れた日本国憲法の上で、いかにすれば最適なバランスとなるか、もしかすると最適とは何かを探る旅をしているように感じる。その回答は、絶対王政下のような公共の福祉を合言葉にした国家的強制ではなく、市民意識による公共の福祉の定義に因って求めなければならない。
私は、「自由権が経済を発展させ、経済は社会権の必要性を作った」という観点を持ち、それにまつわる諸学説を以上のようにまとめた。現在でも社会権による経済的弱者の保護の必要性は変わらないし、新しい人権である環境権は利益追求による乱開発の結果として必要になったものである。また、プライバシー権や知る権利も経済が生んだ巨大メディアの存在が原因になっている。経済が人権に与える影響は計り知れない。
<参考文献>
長谷川正安「日本の憲法 第三版」岩波新書、1994年
中川剛「基本的人権の考え方」有斐閣、1991年