スクーリングの予習を終える

この夏は、「経済学の歴史を学ぶ」という内容のスクーリングを受講しますが、そのテキストとして市販の2冊(新書と文庫)が指定されていて、「予習として必ず読んでおいてください」なる指示が法政通信で出されていたので、かれこれ1ヶ月近くをかけて、2冊を読み終えました。

どちらも原著の引用が多い書籍で、その原著部分はなかなか難易度が高く、どこまで理解できたかは微妙なところがありますが、それはスクーリングでの講義であったり、再読なりで埋めるとして、何となく経済学というもののイメージがおぼろげに見えてきたような気がします。

このブログの、スクーリング受講を決めた際に書いた記事で、“自分の中に今ひとつ「経済学とはそもそも何か?」ということがイメージできていないのです。そこで、この講義を受ければ、歴史という観点から、このイメージが少しでも出来るのではないかと期待しています。”ということを書いていたので、それに沿った成果が出つつあるようです。

文庫なのに1500円という値段が付いている「私は、経済学をどう読んできたか」は、たしかに名著。法政通信にも「一冊で三度美味しい」とありますが、それは事実のようです。数年前にブームになった「ソフィーの世界」という哲学でいっぱいのSFミステリー小説がありましたが、それの経済学版といった感じ。

で、どんなことが見えてきたかということについてですが、それは「経済学というのはまだ若い学問で、学問そのものの形も未だ確たるものはないのではないか?」ということ。哲学のようなものなのか、物理学のようなものなのか、歴史は哲学的なものから、物理学のようなものに進んでいるようで、故に純粋経済学と応用経済学なる言葉が出来るわけですが、当然に物理学から哲学的なものへの寄り戻しもあり、未だ落ち着いていないのではないか?という印象を持ちました。

現代経済学の教科書を開くと、これが実に数式とグラフで溢れていて、どうしても無味乾燥に感じてしまうわけで・・・。おそらく、応用に進むための基礎としての純粋経済学ということなのかもしれませんが・・・。
ただ、経済学というのはもともと「共同体のあり方」の研究であるはずで、この予習で経済学の歴史はそれを物語っていることは確認できたのは良かった。(ところで、「共同体のあり方」という表現は、数年前に読んだ「経済ってそういうことだったのか会議」で、竹中平蔵氏が言っていた言葉)

今まで、知っている経済学者というと、「見えざる手」のスミス、「社会主義の」マルクス、「公共投資の議論に出てくる」ケインズくらいしか知らず、その知識もステレオタイプなものでしかなかったわけですが、いろいろな人の名前も覚えました。こういうのは、なんとなく直感的に知識が広がってる感じがして、ハッピーな気分。
本職のSEという立場からは、「生産の上で労働者の先導的立場である技術者が社会を支配する」などという議論を展開したヴェブレンは面白いと思った。この人は学会でも今ひとつだったようで、著者のハイルブローナーに「無邪気であどけない経済観」とまで言われてますがね。

ま、いずれにせよスクーリングで、どのように知識が広がっていくか・・・楽しみにしたいと思います。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。