思考のおもむくままに

“人類がそのおぼろげな過去をもっと明確にふり返ることができるようになり、その現在の問題を完全かつ客観的に分析できるようになれば、人間の精神は向上するだろう。人間は文明をあまりにも複雑にしてしまったために、実験をその論理的帰結に導きたければ、そして限られた記憶力を酷使して泥沼に落ち込みたくなければ、さらに完全に記憶を機械化する必要に迫られることになった。人間がさまざまな不要不急のことがらを、重要なことだとわかった時には復活できるという保証のもとに忘れてしまう特権をとりもどすことができれば、その旅路も少しは楽しいものになるかもしれない。”

「ワークステーション原典」よりヴァニーヴァー・ブッシュ「思考のおもむくままに」から引用(当初は「アトランティック・マンスリー」誌1945年7月号に収録)

前に取り上げた、知識増大ワークショップのセッションの最後に、歴史的論文の再録として収録されている、今から60年以上前の論文だ。
ここで「完全に記憶を機械化する」装置は、仮にmemexと名付けられている。

memexの原理は、マイクロフィルムで撮影されている写真であり、デジタルデータではない。それは、時代の都合であるから、仕方ない。
ただ、パソコンこそが現代のmemexとして、現実のものになっていることに注目したい。

我々は既に、memexを手に入れている。
さらに、我々のmemexは、60年前の想像を遥かに上回る能力を身につけている。
その最たるものは、memexが相互に接続されているということだ。

論文では、友人の研究に関係することを、自分のmemexから取り出し、それを複写して友人に渡し、友人は自身のmemexに取り込めば良いという記述がある。
我々のmemexは、その必要すらない。ネットワークを介して自由に交換すれば良いし、友人間に拘らず、自由に公開しておくこともできる。
複写して渡したり、取り込んだりする行為は、デジタルの世界においてもメタファとして、概念的に模造されているが、少なくともそのコストは、アナログの比ではない。

60年前にmemexを想像したヴァニーヴァー・ブッシュには、敬意を表するべきだ。それと同時に、その想像を既に現実に手にしている我々は、memexによって得られる特権をも手にしているということを意識した方が良い。
コンピュータによって、我々の能力は増幅されているのは、間違いない。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。