新しいことを形にする。

仕事上のことについて、過去を振り返る文章を書いておきたいと思います。
過去を振り返ると、自分のことが見えてくると思うからです。

私は、専門学校を卒業した20歳の時に上京し、中堅のSIerに入社しました。
3カ月の新人研修を終えると、すぐにASPでWebシステムを受託開発するプロジェクトにアサインされました。
その後、実用にはするものの、今から考えればプロトタイプのような小さなコールセンターシステムを、パッケージを使ってほぼ1人で開発したりもして、20歳の新人にしては、抜擢もされていたと思います。

そして、1年目の年明け(1月)から、子会社に出向となりました。
その子会社は、ある種の社内ベンチャーでした。服装もカジュアルです。
そこで私に与えられた仕事は、あるフレームワークベンダーへの派遣でした。
華僑資本で、海外で開発したフレームワークを日本で売るという、そのベンダーで、日本法人(本社なわけですが)にいる技術者は、当初、私だけだったのです。
大したマニュアルはなく、未だパッケージングされた製品すら持たない、そのベンダーで、私は、ソースを読んで構造を理解し、必要なものと不必要なものを分け、何とかパッケージングしました。
とりあえず検証のために1つは買うといったポリシーの大企業からの注文に、何とか納品することが出来たのです。それをやり遂げた時に、「あなたがいたから出来た」という称賛の言葉を貰い、私自身も達成感を感じました。
当時はいろいろ思うところもあったものの、今から考えてみれば、その作業に熱中していたと思います。
自分の思うとおりに事が進み、何か起きれば自分で片付けねばならない。経営陣はすぐ近くにいて、私が派遣された身であるにも関わらず、さまざまな議論をしました。「You are clever.」などという評価をされたこともあります。そういう環境での仕事は、エキサイティングな経験でした。

結局、そのフレームワーク関連の仕事は、1年半ほど続いたと思います。
ずっとベンダーに常駐していたわけではありません。そのフレームワークは、社内ベンチャー子会社にとっても、製品だったのですから、技術営業のような活動もしました。
幕張メッセに展示会の準備で前乗りしたり、説明員としてブースに立つという経験もしました。
しかし、フレームワークはまったく売れませんでした。
当時は、フレームワークブームのはしりといった時期であり、まだまだ様子見といった印象があります。また、そのフレームワークは純粋なJ2EEのMVCフレームワークであると同時に、ViewにXMLを駆使したり、携帯電話向けのトランスフォーマーを組み込んでいたりしていました。
技術的に難易度が高い上に、特にトランスフォーマー機能が売りに挙げられたため、製品ジャンルが見え辛かったと、今では思います。

私は、そのフレームワークの仕事を終えてから、ある別のフレームワークに携わりました。それは純国産で業務系のフレームワークです。
そこには日本のオブジェクト指向の大家の1人がいました。そこで私がやったことは、業務をアクティビティ図に起こすことと、フレームワークのマニュアルをまとめることだけです。
しかし、そこで刺激を受けた私は、独学や研修で、オブジェクト指向を学んだのです。

そして、出向解除となり親会社に戻りました。服装はビジネススーツに戻りました。
子会社は社内ベンチャーですし、派遣先のフレームワークベンダーに至っては純粋なベンチャーです。
そのため、親会社に戻った時のカルチャーギャップは激しかったと覚えています。
親会社での3年ほどの間は、いくつかのWebシステム開発案件に、要件定義からシステムテストまで一貫して携わるような仕事をやりました。ろくすっぽ、普通のプログラマ経験のない私ですが、そこではSEとして、チームリーダー的な立場を任されました。

子会社時代から一貫して、上司に訴え続けたことがあります。
それは、自社のフレームワークを作るということです。
今は、個人の技術力に頼りっぱなしだ。それを会社の技術力にするためには、自社の技術の核が必要だ。それは、フレームワークだ、という提案です。
その提案は、親会社に戻ってからはStrutsを使うことに転換し、代わりに開発プロセスを整備することにしました。
自社内で、オブジェクト指向のエバンジェリストのようなことをやったのです。

3年の間にいくつかの案件でStrutsを使ったわけですが、その頃にはWebシステム開発でフレームワークを使うことは、世間的にも、当社としても、一般的になっていました。
そして、ちょうど今から1年ほど前からやっている仕事は、自社フレームワークを整備することです。
もう、私自身がコーディングすることはありません。腕の良い技術者がいました。私に求められていたのは、方針を決めて、プロジェクト管理して、次の展開を練ることだと自覚したからです。

私の社会人としての6年間をざっと振り返ってきましたが、すべてフレームワークにつながっています。
Webシステムでフレームワークを使うということについて、その初期から、既に普及した今に至るまで、すべて私の中ではつながっているのです。
あの時、あのベンチャー企業で、あの新しい技術に触れていたから、今の自分があります。それは、間違いありません。

そういう仕事をやってきたのです。
そろそろ、次がやりたいな、と思うのです。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。