私はなぜ[es]に熱くなっているのか?

私はその昔、PDAとケータイにひたすら熱くなっていました。(まぁ、今でも「そこそこ」ではあるが、「その昔」ほどではないのは確か。)

今までに買った端末などということを言い始めると、気が遠くなるほどです。
簡単に言えば、PDAブームの頃に、店頭に行けば、そこにあるPDAは大抵、使ったことがあるくらい…ということです。

そんな中、印象に残ったPDAがいくつかありました。

初めて買ったのは、多分、SHARPのWiZです。その後発機も買ったので2台、それとCASIOPEIAのHandheld PCのやつ(多分、A-51だったはず)を経由して、Zaurus igeti。
igetiでは、初めてPDAでインターネットという経験をして、カルチャーショックを感じました。
あと、DoCoMo版のMobileGearは、既に流通在庫だけになっているところを、名古屋から九州に取り寄せたり…。
そうそう、九州から大阪は日本橋に遠征して、ソフマップで、なんだっけな、英語版のPalm-size PC、ちょっとググってみて分かったけど、Everex社のFreestyleというやつとかも買った。
そもそも、九州から上京するときに持ってきたのが、MC/R430だけだったというのは、隠された実話。(東京来てからPC買ったけど。)

東京に来てからは、ひたすらPalm人生。
最初はIBMのWorkPad、純正が出たよといってPalm社のもいくつか買ったし、HandspringはVisor Deluxeも良かったけど、Visor Edgeは最高だったなと思ったり、もちろんSONYのCLIEシリーズもカラー液晶の暗いやつ(PEG-S500C)からN700C、T600C、NR70…。あと、意外に良かったのがSJ30とSJ33とか。
ちょっとしたデータを作って、Muchy.comに登録されたりしたものです。

WindowsCE系も、色々買いました。
シグマリオンシリーズはもちろんこと、HPの名機Jornada720を買ったときは感動したり…。
Pocket PCもいくつか。G-FORTとかMuseaとかDoCoMoのやつばっかりだけども、その中にCOMPAQ製の初代iPAQも混じってたし、HPになってからのiPAQも買った(h1920)。

で、Linux Zaurus。これは、言うまでもなく。リナザウ買ったから、DmBloggerが出来たわけですね。

と、「印象に残った」といいつつも、延々と書いてしまいましたが、まぁ、PDAは色々買って、使ってたわけです。
私が上京したのが2000年4月(厳密には3月末)ですが、そこからのスケジュールがずっと残っているのは、何かしらPDAを使ってたおかげなのです。

しかし、いつからか、PDAでスケジュール管理するのをやめてしまいました。結局、PDAとケータイを2つ持つのがイヤになってしまって、だったらスケジュール管理は手帳でやるかってことになって、ちょうどフランクリンプランナーにも当たったので、ケータイとPDAではなく、ケータイとフランクリンプランナーという組み合わせになったわけです。
Linux Zaurusを持っていても、それはカバンに入れておくものであって、ある意味でDmBlogger端末でしかなかったり、LAMP環境作って喜んだりしたけど、それってPDAでやることでもないというか、少なくともPDAでPIMはやってなかった。

PIMは肌身離さず持っているから、意味があるのです。
肌身離さず持つものは、何よりケータイであって、PDAではない。
だったら、ケータイでPIMだと思って、OutlookとシンクできるようにauのMySyncを買ったり、その他色々、この際Yahoo!カレンダーで行こうと思ったり、独自のWebアプリを作ったりしたり…。でも、ケータイに入っているスケジューラはデータが100件までしか登録できなかったり、シンクも結構中途半端だったり、やっぱりWebアプリだけでやるのは辛くなったり…。困ったもんだと。

まず、そこにW-ZERO3が現れました。
しかし、買いませんでした。あれは、どう見てもPDAであって、いくら通話できると言っても、やっぱりあれだけしか電話機がないのはイヤだなぁと思ったのですね。(正に、作り手さんの分析にピッタリ、ハマっています。)
PDAを持つんだったら、Linux Zaurusで良いのですから。で、ケータイは肌身離さず、Linux Zaurusはカバンの中という扱い。

そして、W-ZERO3 [es]が現れた。
これなら、ケータイかつPDAとして、肌身離さず持ち歩けそうだと思ったのです。ついに、ケータイとPDAが1つになった。そう、思えた。
ケータイとPDAを2つ持ち歩いて浮かれていた時代から、やっぱり1つにしたいと思って、1つだけならケータイしかないなぁ…という悶々に変わって、その悶々を4年くらい続けた末に、ついに現れたのが、[es]だったのです。

ついに、夢をかなえるデバイスが現れたのです。
それが、明日、私の手元に…。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。