湯河原にて

いま、私は湯河原の温泉宿にいる。昨日の夜は、一人、部屋の中で、手帳に何かを書き付けていた。

私は、去年の今頃にも、この宿を訪ねている。その頃は、20歳の時から7年半ほど勤めていた会社を辞めたばかりで、あちこちを旅していた。その旅の一つが湯河原だった。

会社を辞めたのは、行政書士になるため。ちょうど11月にある試験を受けるために、8月いっぱいで会社を辞め、試験準備に集中するというストーリーだった。

しかし、その実は旅行三昧の日々で、お金のためにバイトもして、その揚げ句に試験に落ちた。あと何点かというところで、惜敗だった。もし、当初のストーリーどおりであったなら、受かっていたかもしれない。
まあ、それはいい。

その後、私は派遣で仕事を始めた。もう11ヶ月目になる。仕事の内容はソフトウェアの設計、開発。SEというやつだ。それは、私が辞めた会社でやっていた仕事で、要は戻ってきたのである。実を言えば、その仕事をしていなかったのは、去年の9月から11月のわずか3ヶ月のことであって、どちらかといえば、長い夏休みの後で転職したようなものである。しかし、私はSEという仕事自体から足を洗うつもりだったから、戻るという表現がしっくり来る。
友人がやっている会社からの誘いもあった。とりあえずは営業の仕事らしかった。でも、やはりSEの仕事を、相変わらずやっている。

いろいろ考えつつ、昨日、手帳に書き付けていたのは、私がSEをやめて行政書士になろうと思ったのは何故だろうということ。そして、私は今でもどっちつかず迷っているのだが、いい加減、結論を出そうということだ。

今日までに得られた答えは、SEをやめようと思ったのは、キャリアパスが見えなくなったから。見えなくなったというよりは、ずっと見えてなかったという方が正しいかもしれない。なぜ、この業界に入ったのかすら、いまひとつ判然としない。その時、その時で、楽な方、安泰そうな方を選んでいたら、そこに流れ着いた。そんな感じでなのだ。

おそらく、会社に入ってしばらくは、社会人としての生活や、基本的な仕事の進め方に慣れるのが一生懸命だし、わりと変化のある仕事を振られていたから、そのことに触れずにすんでいたのだろう。それが、そろそろ単調になり始め、その頃には自分から勉強するということもやらなくなってしまっていたから、あぁ、もうSEとしては駄目だなと思った。そもそも、勉強しなくても日々の実務くらいは出来る。そしてキャリアパスも、自分がなぜこの業界にいるのかも分からない。だから、勉強する気持ちなど、起きようはずかない。

その頃に始めていたのが行政書士の勉強。私にとっては春の風物詩のようなもので、試験日の半年前くらいから参考書を買い込んで来て、しばらく読む。そして、いつか忘れる。そういうことを、何度か繰り返していた。
それが、去年は思いの外、長続きしたのである。だったら、そのまま行こう。先の見えないSEなんて辞めちゃおう…と、なったのである。

しかし、自分がまったく知らないことの勉強は、それなりに興味があれば、楽しいのは当たり前で、特にどうということはない。重要なのは、ある程度分かった後に、それでも勉強を続ける熱意が持てるかだ。

そこで必要なのが、キャリアパスである。勉強のみならず、その業界である程度経験を積んで、初めて見えるようになり、語れるようになり、一方で行き詰まりを感じるのがキャリアパスである。

そう思うと、私がSEとしてどうしようかというのと、行政書士としてどうしようかというのでは、レベルが違うのである。同じ勉強でも、片や先端であり、片や基礎である。レベルどころか、ステージが違うのである。それなのに、その2つをただ並べて、うんうん唸っているのは、狂気の沙汰ではないかとすら、思うようになった。
今のところは、ここまで。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。