昭和22年の中学1年生が、どう日本国憲法を学んだか

今日は憲法記念日です。
昨日、仕事帰りの電車の中でZaurusをいじっていたら、SDカードに「あたらしい憲法のはなし」という書籍データが入っているのを見つけました。青空文庫で公開されているデータで、ずいぶん昔に一度読んだものが、そのまま残っていたのです。

この本は新憲法(現行の日本国憲法)公布の直後に、中学1年生向けの教科書として発行されたもので、日本国憲法の柱となっている事項が、平易に書かれています。
非常に薄い本なので、電車の中で最後まで読んでしまいました。

みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。

1節の「憲法」から少し引用しました。
国民が「國民」と表記されていたり、「大事になさるでしょう」という言い回しなど、なかなか趣があります。

概ね国民主権や、正当性の契機について説いたものと思いますが、「しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません」という部分を憲法遵守義務と捉えると、若干の違和感が残ります。それよりも護憲に近いのでしょうか。

このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです。これからさき、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでやってゆかなければなりません。天皇陛下は、けっして神様ではありません。國民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。

続いて5節の「天皇陛下」より。
大日本帝国憲法の下で教育されてきた当時の中学1年生にとって、天皇がどういう存在であったかを考えると、非常に味わいがあります。

そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

6節の「戰爭の放棄」。
「世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」という宣言は、胸に響くものがあります。
昨今の改憲議論のターゲットのひとつに9条があるのは否定できないところですが、だとすると、日本が他の国より先に行ったことは間違いだったのでしょうか…。

みなさん、いままで申しました基本的人権は大事なことですから、もういちど復習いたしましょう。みなさんは、憲法で基本的人権というりっぱな強い権利を與えられました。この権利は、三つに分かれます。第一は自由権です。第二は請求権です。第三は参政権です。
こんなりっぱな権利を與えられましたからには、みなさんは、じぶんでしっかりとこれを守って、失わないようにしてゆかなければなりません。しかしまた、むやみにこれをふりまわして、ほかの人に迷惑をかけてはいけません。ほかの人も、みなさんと同じ権利をもっていることを、わすれてはなりません。國ぜんたいの幸福になるよう、この大事な基本的人権を守ってゆく責任があると、憲法に書いてあります。

7節の「基本的人権」。
「與(あた)えられ」という表現が微妙…。国民の権利には法律の留保が付いて回った大日本帝国憲法の残り香でしょうか。
「むやみにこれをふりまわして、ほかの人に迷惑をかけてはいけません。ほかの人も、みなさんと同じ権利をもっていることを、わすれてはなりません。」という部分は公共の福祉を指していますが、公共の福祉による人権の制約について、現在の通説は一元的内在制約説です。公共の福祉は人権に内在(故に他の人の人権を侵害してまで自分の人権を貫けない)しているものであって、人権の外(たとえば法律)からとやかく言われる筋合いのものではないという考え方です。

一方、公共の福祉は人権の外にあるものだから、法律があれば人権を侵害しても構わないとするのが一元的外在制約説です。改憲議論において、自民党の改憲案はこれにあたると指摘する人もいます。

みなさん、國会の議事堂をごぞんじですか。あの白いうつくしい建物に、日の光りがさしているのをごらんなさい。あれは日本國民の力をあらわすところです。主権をもっている日本國民が國を治めてゆくところです。

8節の「國会」。
このくだりは、ちょっと香ばしいな。時代背景からすれば、宮城(皇居)でなくて国会議事堂なのだというのがポイントかもしれません。国会議員の皆さんには、肝に銘じておいて欲しいくだりでもあります。

最後に1節の「憲法」から、もう少しだけ引用して終わりにします。

この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というものは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。

せっかくの憲法記念日ですから、憲法のことを考えてみるのも良いのではないでしょうか。
「あたらしい憲法のはなし」は、青空文庫で全文が読めます。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。