「7つの習慣」について、まとめの記事を書いていたら、ぴったりすぎる事例が@kousyouさんのツイートで紹介されていた。
あなたには娘さんが統合失調症であってほしくないという気持ちがまずあって、その気持ちに適合するようにすべてを解釈していることが読み取れます。おそらくあなたは、娘さんが統合失調症であるというあらゆる説明に不信感をお持ちになるでしょう。けれども、事実は事実として直視しなければなりません。
引用元: 【1728】自分を統合失調症だと思い込む娘について窶霈.
とりあえず、引用元の記事を読んで欲しい。回答する精神科医は質問する母親を一刀両断している。最後には、質問者である母親自身も統合失調症なのではないか、もしくは母親ではない別人が質問しているのではないか、とまで書いている。
それはさておき、この母親は完全に自分自身のパラダイムで娘を見ているということだ。娘のためと言いつつ、結局は自分がそうあって欲しいという姿をそのまま投影しているに過ぎない。
まだ、まとめ記事を書いていない第5の習慣で「理解してから理解される」というのがある。この事例では、母親はまず娘を理解しようとしていない。相手を理解せずに、自分を理解させようとする行為は、信頼残高の著しい引き出しになってしまう(これもまとめ記事で紹介していない言い回しだが)。このような状態では、娘が母親の言うことを聞くことは絶対にあり得ない。
人は何らかのパラダイムによってしか物事を見ることは出来ない。だから、この母親が「娘が統合失調症であって欲しくない」というパラダイムで娘を見ることは仕方がない。しかし、娘の方は「自分は統合失調症で苦しい」というパラダイムである。だから、まず母親は娘のパラダイムを使って娘を見ることを試してみるべきであり、娘の苦しさを理解するように努める必要がある。そして、精神科医の診断についても娘のパラダイムで見れば至極全うであるし、専門家の診断は基本的に尊重すべきだから、この娘が統合失調症というのも正しいのだろう。
母親が娘を統合失調症であって欲しくないと思うのは理解できる。だからこそ、娘の現状を否定するのではなく、娘の現状を理解した上で、娘の統合失調症の治療に協力するという方針に切り替えることだ。これは、娘にとって当然望ましい結果であり、母親にとっても最終的に望ましい結果になる。これが、第4の習慣にある「Win-Winを考える」なのだ。
以上、ちょっと無理やりなところもあるかもしれないが、7つの習慣における公的成功の習慣を事例に当てはめてみた。
この事例は作ったかのように顕著な事例だが、自分の周りにも、あなたの周りにも、このような事例はあるのではないだろうか。