モノにこだわる私たち

週末は、Let’s NoteやらXPERIAやらの環境再構築をやっていた。ほぼ、土日を丸々それに充てた。なんだか、無駄な時間だなぁという感触を得たりしたのだが、始めた以上は最後までやるしかなかった。

考えてみれば、私がパソコンを使い始めた頃から数年(DOSからWindows3.1に移行したあたり)は、パソコンを使うことが楽しかったので、環境再構築などというのは半ば趣味のようなものだった。やる必要がなくても、暇だからやるくらいの勢いだった。

この変容は、私が単に大人になったというだけだろうか。それもあるかもしれない。ただ、それ以上にパソコンやスマートフォンのある日常というものがあり、それは必需品であり、むしろ、パソコンやスマートフォンといったハードウェアよりも、それを使ってアクセスするネットの中にあるものに、楽しみの焦点が移ったからではないか。

昔から、「コンピュータ、ソフトがなければただの箱」と言われてきた。ホビーとして、パソコンを買ってきた。しかし、ソフトはOSくらいしかなくて、他のソフトは買うお金がなかった。こうしたシチュエーションに立てば、目の前のパソコンは、せいぜいソリティアマシンなのであって、それ以上にはならなかった。

しかし、今は違う。目の前にパソコンがあって、何らかのOSが入っているとすれば、ブラウザくらいは入っているだろう。そして、ネットにつながれば、楽しみはそこに無限にある。コンピュータは、OSとブラウザくらいあれば、ただの箱ではないのだ。故に、私たちはパソコンというハードに対するこだわりを捨てた。どういうソフトを買ってきて、我がパソコンにインストールしようかという楽しみも捨てた。

大切なのは、ネットの中にあるWebサービスであり、作り出してきたデータだ。ただ、それは目には見えないし、使えないから、何らかのハードを用いてアクセスするしかない。「Webサービス、ハードがなければただの雲」である。つまり、私は早くWebサービスが使いたいがために、週末をハードの環境再構築に充てたわけだ。(特に、それを始めてしまった後は)

だが、世の中を見てみると、やれiPhoneだのXPERIAだのiPadだのと、ハードの話題で溢れている。これは、どうしたことだろう。なぜ、相変わらずハードというモノにこだわっているのか。

iPhoneやiPadには、Apple製品特有の美しさがある。私たちの審美心を満たしてくれる。XPERIAのデザインも上々だ。私たちがモノにこだわっているのは、そのためか。まぁ、それもあるかもしれない。ただ、それは大したことではない。もっと重要なのは、そうした新しいモノが見せてくれる新しい世界だ。その世界の多くは、Webサービスによって構成されている。

昔、コンピュータを使うためにソフトを必要としたように、今はWebサービスを使うためにハードが必要なのだ。そして、新しいWebサービスは、新しいハードを必要とする。Twitterは、iPhoneのようなスマートフォンがなければ、これほど流行したとは思えない。mixiはガラケーを必要としただろう。Flickrもカメラ付デバイスが必要だった。そして、電子書籍はiPadやKindleが必要としているのだろう。(電子書籍そのものは、PocketPCの頃には既に存在したわけだが・・・)

私たちはずっとモノにこだわっている。ただ、その理由としては、ハードとソフトの主従逆転という大きな変貌を遂げたのである。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。