もう2週間前の話になりますが、土日で京都と大阪、さらに和歌山県の高野山まで行ってきました。
高野山では授戒という儀式に参加してきましたので、忘れないうちに書いておこうと思います。
高野山(こうやさん)は、和歌山県伊都郡高野町にある標高約1,000m前後の山々の総称。平安時代の弘仁10年(819年)頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗、ひいては比叡山と並び日本仏教における聖地である。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)をはじめ117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。
平成16年(2004年)7月7日、高野山町石道と山内の6つの建造物が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界文化遺産に登録された。
さて、その高野山ですが、Wikipediaによるとこのような場所でして、弘法大師空海が今から約1,200年前に開いたという非常に歴史のある場所です。世界文化遺産にもなっているのですね。
高野山へは南海電鉄で行くのが便利で、まず南海難波駅から「特急こうや」か急行で橋本まで向かいます。だいたい1時間くらいです。そこから南海高野線に乗り換えて極楽橋まで。さらにケーブルカーに乗り換えて高野山駅まで行き、次はバスに乗り換えると到着です。ここまでで難波からだいたい2時間弱。
高野山真言宗の総本山金剛峯寺。宗祖の弘法大師空海は「お大師さま」と呼ばれて親しまれています。御宝号の「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」は、お遍路さんが着ている白衣に書いてあるあれですね。
高野山の聖地の一つ、壇上伽藍の大塔です。不動堂は国宝に指定されています。
そして、こちらが授戒の会場となる大師教会。この建物で受付を行い、実際の授戒は大師教会の奥にある授戒堂で行います。
授戒は正式な宗教儀式ですが、1日7回行われ、それぞれの開始時間の10分前までに受付を済ませれば誰でも受けることが出来ます。入壇料は500円です。詳細は、金剛峯寺の公式サイトをご覧下さい。
私は11時から行われるその日の3回目の授戒を受けました。その回の参加者は私を含めて5人でした。
定刻になると、受付をしてくれたまだ若いお坊さんが授戒堂まで案内してくれます。
授戒堂はろうそく以外の照明はなく、太陽光だけです。全員が授戒堂に入って座ると(とりあえず最初は正座)、「これから授戒が終わるまでの30分の間、授戒堂から出ることは出来ません」と言われ、扉が閉め切られます。授戒堂の中は本当にろうそくの灯りだけ。
しばらくすると、進行係のお坊さんと、実際に授戒を行ってくれる阿闍梨さまが現れます。灯りはろうそくだけなので、お二人のお顔は見えません。儀式は進行係のお坊さんの指示のとおりに進むので困ることはありません。「南無大師遍照金剛」と何度も唱え、続いて阿闍梨さまの言葉を繰り返します。
そして、順に名前が呼ばれて阿闍梨さまの前に進み、阿闍梨さまより直接「菩薩戒牒」というお札を授かります。(複数人で参加した場合は代表者にまとめて授かるのですが、私は1人で参加したので直接授かることが出来ました。)
ここまで10分程度ですが正座で、少し足が痺れてきたところだったのですが、菩薩戒牒が行き渡ると、阿闍梨さまより「足を崩して良いですよ」という言葉をいただき、一安心。
その後、阿闍梨さまより法話をいただき、それが終わると、進行係のお坊さんと阿闍梨さまは退出。
受付の若いお坊さんが扉を開け、「これで授戒は終わりました」と宣言して解散です。
さて、授戒ですが、その名のとおり「戒めを授かる」わけです。その戒めとはどのようなものでしょうか。これも、金剛峯寺の公式サイトに説明がありました。
体験しよう:菩薩十善戒を知る [高野山真言宗 総本山金剛峯寺]
菩薩十善戒という10個の行いに関する戒めです。それほど難解なことではありませんが、実践するのはなかなか難しいですね。
- 不殺生
- 不偸盗
- 不邪淫
- 不妄語
- 不綺語
- 不悪口
- 不両舌
- 不慳貪
- 不瞋恚
- 不邪見
授戒を受けたということは、弘法大師空海の弟子になったということです。(阿闍梨さまからもそのような言葉がありました。)
で、高野山の帰りに「空海入門」という本を買って、難波まで向かう電車の中で読んでみました。
この本に、仏陀というのは「目覚めた人」という意味であり、私たちだって毎朝「(眠りから)目覚めて」いるのです。だから、毎朝、目が覚めたらその日を仏様のような気持ちで過ごそうと決意し、その日はダメだったとしても、また次の日の朝に決意すれば良いのではないかと書いてありました。
菩薩十善戒もやはり難しいのですが、毎朝、今日こそは戒めを破るまいと思って過ごせば、それで良いのではないかと思います。
高野山からの帰りは、「特急こうや」で帰りました。