History of VBS

(このエントリーは、1997年3月頃に書いた文章を、2016年7月に復刻したものです。)
(このエントリーは、1997年3月頃に書いた文章を、2016年7月に復刻したものです。)

マイホームページの手始め

そもそも私がインターネットに興味を持ったのは、ホワイトハウスや首相官邸といった定番のホームページを見てまわる「ネットサーフィン」をしたかったのと同時に、自分のホームページを持ちたいという自己顕示欲からだった。
だからAsk-netと契約して間もなく、最初のページづくりに取り掛かった。内容は、ありふれた自己紹介と、「おすすめAtoZ」という自分の好きなことや面白いことを紹介するコーナーの2つであった。おすすめの方は、AtoZという名前で想像がつくと思うが、アルファベットの26文字を頭文字にする趣向を凝らした。つまり「M」なら「MUSIC」で音楽の話をするとか、「R」なら「RADIO」でラジオの話をしようということである。
実はアルファベットの26種類分のページは出来なかったのだが(要はネタが続かなかった)、その「V」のところで「V.LEAGUE」を扱ったのが、バレーボールをネタにした始めだ。
そろそろこの企画の本題である「VBSの誕生日」の話題が出来るようになってきた。VBSの前身を溯れば、この初めて作ったページに突き当たるからだ。
では、それはいつの出来事なのか。これには正式な日付が出てこないので困るが、多分1996年の2月下旬だと記憶している。この辺りがVBSの誕生日の第一候補だ。

正式オープン直前まで

気が向いたときに書いている「制作ノート」を紐解くと、4月9日が正式オープンと書いてある。つまり、初めてホームページというものを作った2月下旬から、4月8日まではテストオープンだったわけだ(ちなみに、この頃はインターネットのWWWと、私が住んでいる若松という場所を引っかけて「Wakamatsu Web Wave」と名乗っていた)。
このテストオープン中に、コーナーとしての「Volleyball Station」が出来たと思われる。第2回Vリーグの決勝リーグの結果を掲載したからだ。これが初めてのニュースの配信である。この結果掲載の受け皿として新しいコーナーを立ち上げたのだろう。
決勝リーグが行われたのは2月29日〜3月3日(女子)であるから、2月29日が誕生日の第二候補になる。
しかし、この頃はバレーボールを自分のホームページの中心にする気はなかった。実際にバレーボール中心を意識しはじめたのは、3月下旬から続々と行われた様々なオリンピック予選の結果速報実施からだったと思う。この頃からバレーボールコーナーのアクセスが目立って増えてきたという不確かな記憶がある。初めて読者の方から応援のメールをもらったのもこの時期だったと思う。多分3月26日〜4月1日までキャンベラで行われたオリンピック女子アジア予選の直後だったはずだ。残念なことに5月30日以前のメールを紛失してしまったので、確認はできない。この頃、VBSに応援のメールを出した覚えがある方は、是非連絡して頂きたい。あなたが「メールをくれた人・第一号」だ。

正式オープン以後

そして4月9日に正式オープン。名称を「Sola!」に変更した。VBSは3つ〜4つあるコーナーの中の1つで、バレーボールコーナー「Volleyball Station」として存在している(「VBS」という呼称はまだ無いと思われる)。この日は一応記念すべき日であり、誕生日の第三候補に挙げることが出来るだろう。
5月の黒鷲旗&男子最終予選を前に私は一大決心をしている。制作ノートの4月25日に書いたページでは、4月26日からパワーアップの宣伝を行うように計画し、5月2日までにNTTの新着情報に最終予選のことを投稿しようとしている。ついにバレーボールコーナー単独のプロモーションを開始したのだ。
それと大きな事実が一つ。このページでは、バレーボールコーナーのことを初めて「VBS」と称している。ページの先頭にはっきりと明記されており、少なくとも4月9日から4月25日までの間に、バレーボールコーナー「Volleyball Station」にVBSという呼称がついたことが明らかになった。
ここまでで、バレーボールのコーナーが軌道に乗り、そのコーナーが今と同じように「VBS」と呼ばれるまで話は進んだ。基本的には、今と同じ内容だ。だから誕生日のネタも当分は出てこない。

オリンピックがやってきた

6月1日の話。何のことか分かんない?じゃあ「場所は大阪」というと、大概のバレーファンは感慨深げになるのではないだろうか。そう、全日本女子がアトランタオリンピック出場を決めた日である。この頃、VBSのアクセスも好調で、次の日(6月2日)には、VBSのアクセスが1000件を突破した。初のアンケート企画「あなたが選ぶ世界最終予選MIP」を行い、佐伯美香選手がMIPに輝いた。
そしてオリンピックである。全日本の戦績は芳しくなかったが、VBSは御多分に漏れず結果速報やテレビの放送日程を掲載した。アクセスは最高潮に達し、期間真っ最中の7月25日には294アクセスを記録した。「がんバレ」を始めとする新しいバレーボールサイトが続々と開設されたのも、この頃ではないだろうか。

ついにバレー専門サイト「VBS」が誕生

オリンピックが終わり、8月も中旬である。3つのジャンルを一緒に扱ってきたSola!の中で、着々とバレーボールのVBSが占める割合が大きくなってきていた。ページの更新もVBS偏重の傾向が強くなり、この際バレー専門にくら替えをしようと決断した。
この頃からの読者なら、一度あなたが使っているメーラーの、古いメールを保存しているフォルダを覗いて欲しい。8月24日付で差出人「井上研一」からのメールが届いていないだろうか。「VBS Information」という題名のこのメールは、リニューアルのご挨拶として、希望者全員に送られたものだ。
このメールにあるように、8月25日に全く新しいVBSがオープンしている。プロバイダもAsk-netから、Interlinkに変わった。ちなみにその数日後、Cup.comに再度引っ越している(正確な日付は判明しなかったが、少なくとも8月28日以降である)。
新しく作られたVBSは、HTMLをすべて一から書き直し、ニュースをトップページに置くasahi.comなみの大胆なデザインも試みている。
さて久々であるが、この頃をVBSの誕生日の候補の一つに挙げたい。四番目の候補だ。名称は「VBS」で、形態もバレー専門であり、デザインを除けば今と何ら変わりない状態になった。誕生日の候補もこれを最後にする。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。