たとえばアーティストの安斎利洋さんは、ミクシィの日記のアクセス制限を「友人まで公開」「友人の友人まで公開」「全体に公開」だけでなく、「インターネットに公開」というオプションも加えるべきだと指摘している。
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2007/12/01/entry_25002450/
自分はSNSをやらないので、SNSには詳しくない。逆にブログは長いことやっているので、いろいろ分かることもある。
SNSを自己表現のプラットフォームの一つとして捉えると、そこでいつも気になっていることは、インターネットの中に閉鎖性を取り込んでしまうことへの危惧というか、インターネットのもともとの目的と違うのでは?という個人的な嫌悪感というか、そういうのがある。
「フューチャリスト宣言」で、茂木健一郎氏がSNSに拒否感を示しているのが同じ理由で、それに対して梅田望夫氏が以下のように述べている。
いやあ、それはちょっと厳しすぎますよ(笑)。何か大きなものを目指そう、という志を持った人たちに向かって語りかけるときはいいと思うんだけど、ネット全般のことを議論するのだとすれば、それは厳しすぎると思う。ネットとの付き合い方がその人の個性だと思うんですよね。SNS的なもののところが快適な人と、それからブログを匿名で書くのがいいという人、ブログを実名で書くという人、それももっとビジネスに結び付けるぞとか、そこは確かにおもしろいところですよね。ネットはテクノロジーとしてニュートラルなんだけど、いろんな使い方がありうる。
冒頭で引用した佐々木氏が言うように(というか安斎氏が指摘しているように)、SNSの日記に「インターネットに公開」というのがあれば…というのは、確かにそのとおりだと思う。
そうなってくると、表現者としては一つのプラットフォームで、梅田氏のいうネットとの付き合い方を、コンテンツのレベルで調整することが出来る。
そうなると、そのプラットフォームを提供するのはSNSなのか、ブログなのか、つまりどちらの側が率先して歩み寄るかということになる。
現時点で、そのプラットフォームになりうるのはSNSだ。既に「友人」の概念を持っているのだから、あとは「インターネットに公開」というオプションを持つのみだ。
逆に、ブログから歩み寄るにはどうすれば良いだろうか。「インターネットに公開」が基本というか、まぁ、それしかないのがブログであるから、どうやって「友人」という概念を持ち込むかが問題だ。
この点については、私はXFN(XHTML Friend Network)とOpenIDあたりが融合すると面白いと思っている。また、Googleが始めているOpen Socialについても興味がある。
ブログ人間である私としては、ブログ側で歩み寄れるなら、それを使いたいと思う。
基本的に独自ドメインでやりたいと思う人は、特定の会社のサービスに完全に縛られてしまうのは嫌という気持ちが、どこかにあるのではないだろうか。まぁ、私がそうである。
特定の会社…例えばmixiがそうであるが、そこの強みは人と人の社会的なつながり(まさにソーシャルネットワーク)をデータとして持っている点だ。それが商売につながるかというと、Facebookが広告に使おうとしてユーザの反発を買ったように、人と人のつながりに商売が割って入ることが望ましいとはなかなか思えない。
その点、個人のブログを中心としてXFNやOpenIDで、ゆるくつながっていくアーキテクチャが出来上がったとすれば、どこかの会社がそうした情報を握り締めているよりは望ましいのではないだろうか。
ちなみに、私はブログを実名で書く人である。