派遣というのは自由な働き方ではない

世の中では派遣切りが問題になっています。

いろいろと捉え方はあるようですが、あるはずの仕事が突然なくなるのだとしたら、決して良いことではありません。
ただ、私がこの記事で言いたいのは、そういう話ではないということを先に断っておきます。

派遣でする仕事は自由があるというふうに言われます。派遣会社の宣伝でよく言っていることです。
自分で仕事が選べる、自分のキャリアを自分で作ることが出来る…。そういう謳い文句です。

私も契約形態は少し違いますが、概ね派遣のようなスタイルで仕事をしています。もう、2年です。
たしかに自由だと思っていました。
しかし、よくよく考えてみると、どうやらそうではないようなのです。

「僕は一生サラリーマンなのだろうか?」という本を読んで気づいたのです。
この本は、小説のスタイルをとって、サラリーマンとして仕事をする意味を探っていきます。
さくさくと読んでいけるわりに、ところどころドキっとする言葉があります。いろいろ考えさせるのです。

「サラリーマンはスペシャリスト、独立するのはジェネラリスト」
会社では、いろいろな部署に分かれて仕事をします。1人の社員はある特定の仕事しかしなくて良いのです。これを全体の中でごく一部の役割しか担っていないという意味で、歯車という表現をすることがあります。逆に言えば、そのことだけをやっていれば良いのですから、それはつまりプロフェッショナルだと言えます。
独立したり起業して社長になると、何でも自分でやらないといけなくなります(社長だから何でも決められる…決めなければならないのです)。これはプロフェッショナルというよりジェネラリストのあり方です。

「負ったリスクの分だけ、自由がある」
リスクを自分で負わない人は、代わりに会社にリスクを負ってもらっているのです。それは親子の関係と同じだから、会社の言いなりで仕事をするしかありません。
自分でリスクを負う人は、自分で決めて自分で行動することが出来ます。ただし、人に迷惑をかける自由はないので注意…。

私自身の言葉にしていますが、こういうことが小説の登場人物から語られます。

さて、今の自分の仕事と働き方(派遣のSE)を考えると、自由と思っていたことが単にリスクを負っていないだけであり、そうである以上は派遣先の会社の言いなりで働くしかないのではないかということに気づいたのです。責任がないことの自由は、本当の自由ではないと悟ったのです。

プロジェクトで仕事をしていると、こういう風な仕事のやり方をすべきではないか?、プロジェクトマネジメントはこうあるべきではないか?、設計書はこうした方が良いのではないか?といった、いろいろなアイディアが出てきます。ときには、派遣先の会社の若手社員から愚痴を聞いたりして、なんとかしてあげたいな…と、思うようなこともあります。
しかし、派遣という立場では、出来ることには自ずから限界があります。
それは遠慮とか、そういうことではなく、自分が言ったことに対する責任が取れないから、言えないということなのです。

個々人の考え方はどうあれ、派遣先と派遣社員の関係というのは、そういうものだと思います。言葉は悪いのですが、派遣社員というのはやはり駒でしかないと思うのです。

だから、派遣が自由だというのは嘘です。せいぜい、自分の働く現場を決めるところまでが自由なのであって、その後に本当の自由はありません。

本当の自由を得たいと思ったら、自分が責任を取れるところに行くしかありません。
正社員としてサラリーマンになるか、独立したり起業して自分で何でもやらなければならない立場に立つかのいずれかではないかと思うのです。

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この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。