「パソコン創世記」は、第1部は1985年、第2部まで含めて1994年に富田倫生さんが発表した書籍で、いまは富田さんの意志によって青空文庫でフリーテキストとして公開されています。
私は、青空文庫に上がっているこのテキストを、思い出すごとに何度もダウンロードしては、その時に使っていたPDAに入れて、読み返しています。
「パソコン創世記」はとにかく大きなテキストです。「本」の姿をしていた頃のことを私は知りませんが、おそらく500ページはあったのではないか(Amazonによると470ページでした)と思います。非常に分厚い本であったろうと思います。
「パソコン創世記」の第1部は、不思議な内容というほかありません。
前半は真っ当なのです。NECが実験用、学習用として売り出したワンボードマイコンTK-80。売り出されると同時に、NECの想定とはまったく違う客層に売れ始めます。本来なら、いろいろな職業技術者に買ってもらい、マイコンの使い道を各自の専門分野や業界内で考え出してもらうはずでした。しかし、実際に売れている先は学生やら、親子やら。実験用としてではなく、実際に使えるコンピュータとして買っていく人たち。もちろん、TK-80のような非力なコンピュータで何が出来るわけではなく、勘違いで売れていったのです。
秋葉原に作ったビットインにも、土日も構わず人が押し寄せます。
そのような実に奇妙な売れ行きに、戸惑うNEC。少しだけ、その動きについて行ってみようと決意する担当者。それが、後のPC-9801シリーズにつながる、PC-8001の発売に結実します。
この部分は、以前のNHKの番組「プロジェクトX」を見るような感じで、読み進めることが出来ます。
さて、問題は後半。登場人物はタケシとヨーコ。舞台は学生闘争にフォークゲリラ。そして、話の中心はヤマギシ会(→Wikipedia)に移っていきます。コンピュータとは一切関係ない話の展開に、読者の頭は「?」でいっぱいになることだろうと思います。
著者の富田さんは、第1部のあとがきで、この前半と後半の組み合わせが有効に作用しているのか、もう自分では冷静に判断できないと心情を吐露しています。著者自身、ある意味で賭けに出たのではないかと思います。
この賭けは、いったい何を狙ったものなのか。(以降、ネタバレ注意!)
あとがきにおいて、著者の賭けを読み解く糸口になる記述があります。
スティーブ・ジョブズの登場。ジョブズがアップルを立ち上げる前、ヒッピー生活をしていたといいます。LSDにも手を出したという記述もあります。
著者は、ジョブズのヒッピー生活にタケシを重ね合わせようとしているのです。
ジョブズが生み出したApple IIは、今の私たちにどんな影響を与えたでしょうか。
それは、私たち自身が、私たち自身のために、使いこなすことの出来るコンピュータの誕生です。当時のIBMに代表される大型コンピュータが人々を管理するというモデルとは大きく異なる、個人のためのコンピュータです。
タケシは学生運動やヤマギシの経験、そして妻子との別れから、精神を病んでしまいます。それを救ったのが小さなコンピュータとの出会い。体制による管理とは対極にある、ちっぽけなコンピュータ。自分の命令を少しずつ与え、動き出したときの感動・・・。
私は、コンピュータの世界、今ではITということが多いですが、その発展は常に個人の手に負える小さな世界から始まっていると考えています。コンピュータが一つのシステムとして大きく整然としたものになると、そのアンチテーゼのような小さな世界が生まれます。例えば、PDAやiアプリ。そして、今ではiPhone(ジョブズがまた生み出したもの)やAndroidがそうでしょう。ネットの世界に目を向ければ、Twitterがあります。素朴な機能を有するコンピュータやサービスが、私たちの創造力をかき立てます。そして、個人の小さな動きがやがて大きなうねりとなり、世界を変えていくのです。
その元祖といえるものが、本書で紹介されているパーソナル・コンピュータ。いや、当時の言葉でマイコンといった方が良いかもしれません。
コンピュータの世界の根底にある、良きアマチュアリズムのような空気感。その鮮烈な源流を本書から感じることが出来ます。
ちなみに、第1部は全体の20%に過ぎません。残る80%は、NECのPC-8001以後、そしてアメリカの動きが紹介されています。ジョブズはもちろん、もうひとりのスティーブこと、スティーブ・ウォズニアック、そしてビル・ゲイツの活躍に胸を躍らせて下さい。
もちろん、日本人の活躍も、忘れてはいけません。NECでPCシリーズの開発に携わった人たち、さらにアスキーの西和彦やマイクロソフトの古川亨、ソフトバンクの孫正義、ジャストシステムの浮川夫妻。彼らの活躍も、本書でしっかり述べられています。
その中で特に顕著な活躍を見せるのが、アスキーの創業者、西和彦です。彼が月刊誌ASCIIの創刊号(1977年7月号)に書いた巻頭言が、第1部に引用されています。ここでも、少し長くなります引用します。(1977年にこう思った人がいるというのが、凄いと思う。)
ひととおりマイクロコンピュータのシステムをそろえるためには最低二〇万円はかかります。二〇万円を単に純粋な遊びのために投げ出す人が国民的レベルで増加することは期待できそうにありません。
何の理由でもいいのです。とにかく自分で納得のいく目的があること、それがマイクロコンピュータに取り組む人の備えなければならない最低条件になるのではないでしようか。
マイクロコンピュータは家電製品にも積極的に使われて、産業としての地位を確立しつつありますが、今まで大型が担ってきた計算とか処理などの機能を備えたコンピュータが個人の手のとどく商品となったら、それをどのように分類したらいいのでしょうか。
電卓の延長ではないと考えます。家庭や日常生活の中に入ったコンピュータ、テレビやビデオ、ラジオのような、いわゆるメディアと呼ばれる、コミュニケーションの一手段になるのではないでしょうか。