真のフリーであるということ

私は以前からフリーになりたいという思いを強く持っています。

その「フリー」とは、会社というものから離れて仕事をすること=個人事業や小さな(自分だけの)会社を立ち上げることであると、定義していました。だから、会社に雇われるというのは嫌だと。

土曜日に小飼弾さんの「弾言」を読み返してみて、その定義が変わりました。

フリーというのが、必ずしも会社に雇われることを否定するものではないと考えています。そして、会社から離れたとしても、必ずしもフリーではないというのもまた真です。

というのは、私がいま、契約社員という立場で仕事をしていて、プロジェクト単位、もっというと3ヶ月区切りで契約を更新するか否かを決められます。かなりフリーに近いあり方だと思います。

結局、私は2年近く契約を更新し続け、同じプロジェクトで仕事をしています。それはなぜか?と言われれば、最近はプロジェクトでの経験の評価や切れ間の関係があって更新しているのですが、当初は主に経済的な問題で更新するしかなかったのです。

「弾言」は、この辺のことをバランスシートの考え方を持ってきて、うまく説明してくれます。

つまり、資産形成が重要であるということです。仕事していなくても1年くらいは暮らせるお金があれば、フリーの度合いというか価値は高まります。そして、暮らすために必要なお金というのは、自分の家計を見つめ直せば減らせるところがあるはずで、まずそこから始めようと弾言しています。

また、「1年くらい」という期間も、自分の能力如何で短くもなれば、長くもなります。自分がどこででも雇われる、稼げるだけの能力を持ち続けているならば、1ヶ月分くらいの余裕でもフリーと言えるわけです。そして、その能力を高めるには、まずは本を読むことが必要であると。

このようなお金と能力を持っているならば、別に会社に雇われていても本質的にフリーといえます。言い方としてきつくなりますが、「いつでも辞められる」という気持ちを持つことが出来るわけです。このような気持ちが持てたときに、会社奴隷から、会社と対等な関係を持った個人に変化するのでしょう。

このエントリーでは「お金」について取り上げましたが、弾言ではさらに重要なものとして「時間」を挙げています。この点についても、また触れようと思います。

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この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。