八坂神社とダライ・ラマ

私はどこかに行って、その近くに神社があるとお参りしておみくじを引きます。

先週、地元に帰ったときには若松恵比寿神社で3日連続でおみくじを引くという暴挙に出たし、福岡天神の方に行ったときは櫛田神社で久々に大吉を引いたりしました。

昨日、京都祇園の八坂神社をお参りして、やはりおみくじを引きました。末吉でした。
それでも、春が見えかけているので遠くない時期に幸福が訪れるとありました。恵比寿神社で2日目に引いたおみくじにも同じようなことが書いてありました。

受験は後悔先に立たず、仕事は責任放棄は禁物とありました。恵比寿神社の方でも、決意が足りない→雑念が多い→一心にやれというお告げだったので、後悔先に立たずというのは同じ系統です。とにかく真面目に勉強すれということですな。

で、気になるのは責任放棄は禁物というやつなのです。もちろん、責任放棄はやってはいかんと思います。でも、今の私にとって責任とは何なのか。それが気になりました。

たとえば、いま会社を辞めるといったら、それは責任放棄になるのか。いや、人生大きな視野で捉えれば、自分が本当にやるべきことから安易な方向に流れることこそが責任回避と捉えられる。今の私は、人生大きな視野で捉える時期だと思います。だとすれば、真の責任とは自分が人生かけて(とは少し大げさかもしれませんが)やるべきことであり、そこから流れて当座のことだけを考えた選択をするのが責任回避なのではないか。

ところで、ある人に会って、その人がダライ・ラマが好きだというので、京都河原町のブックファーストでダライ・ラマに関する本を1冊買いました。薄い本なので京都から大阪に向かう阪急電車の中ですべてを読みきりました。読みきるどころか、その後で考える時間までありました。

人は何のために生きているのか。それが最初に書いてありました。ダライ・ラマの答えは幸せになるためだとありました。そして、自分が幸せになるために生きているように、ほかの人も幸せになるために生きているとありました。

ダライ・ラマは正しい動機で行動することをとても大切にしているようです。そして、社会とつながり、人のために役に立つことをする。自分の仕事をきちんとやることが社会のため、人のために役立つのだと言うのです。

まさにそのとおりだと思います。Twitterのほうで少し書いたのですが、私の根底にある価値観として、人には個性があり、その個性を発揮して社会の役に立つことが、その人の使命であり、それができている間はその人は満足できるというのがあります。非常に僭越な思いですが、この考えならダライ・ラマも認めてくれるかもしれない。賛同してくれるかもしれないと思いました。

この社会で生きること、正しい動機で社会に貢献すること、自分の仕事をすること。そういうことを考えている旅路です。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。