「ホームページ」人生の源流を辿る

このサイト(inoccu.com)のSEO関連の情報を見ようとChromeに入れてあるPageRank Statusという拡張機能の画面を見ていたら、インターネットアーカイブ(Archives.org)に2003年のキャッシュがあるということが分かりました。

pagerank-status-cached_072316_100901_AM

以前、inoccu.comドメインを取り戻したときに書いた記事で、最初は2008年に取得した・・・と書いていたのですが、どうやら違ったようです。最初にinoccu.comを取得したのは2003年頃で、実際にサイト運営をしていた実績があるようです。

inoccuの源流

inoccuというスペルは私が考え出したもので、「イノキュー」と読まれることが多いのですが、「いのっく」と読ませることにしています。なぜ「いのっく」かというと、当時、友人などからそういう呼ばれ方をしていたからで、Webサービスのアカウントでは「inok」というスペルを使っていました。inokなら本名から採ったようにもなるし好都合なのですが、残念ながら既に誰かに取得されていることが多く、使えないことが多かったのです。それで、独自ドメインとしてはinoks.netと末尾にsを付けて取得していました。

フレーム使いまくりのinoks.net(2001年2月のインターネットアーカイブより)
フレーム使いまくりのinoks.net(2001年2月のインターネットアーカイブより)

そこで、誰かと被らないスペルとして考え出したのが、inoccuでした。当時の携帯電話のメールアドレスもそれで取れましたし(携帯電話のメールはもう何年も使っていないし、現在はIIJmioなのでアカウントすらありません)、2000年頃といえば何よりYahoo!ですから、スペルを思いついた直後にYahoo! Japanのアカウントを取り直したことを覚えています。

yahoo-inoccu_072316_101556_AM

どうやら、2002年12月10日に思いついたようですね。で、inoccu.comというドメインでサイト運営していたのが2003年からということのようなので、辻褄が合います。

「ホームページ」の源流

inoks.netを見てみると、「1996年から今までに作ったページ」と書いてあります。残念ながらその時のファイルは既になくて、2001年頃のinoks.netの時点でもすべては持っていないようです。ただ、その時点でまとめたコンテンツが、inoks.netやinoccu.comのインターネットアーカイブにいくつか残っていました。

画像がないのは残念だが、2003年6月23日時点のinoccu.com
画像がないのは残念だが、2003年6月23日時点のinoccu.com

残っていたコンテンツのうち、記事としてまとまった文章になっているものを、こちらの新生inoccu.comに移してみました。
いままでは2001年7月の比較的まじめな文章が最古の記事だったのですが、1997年3月の記事が最古に変わりました。

1997年3月というと、まだ上京していなくて、地元・北九州の専門学校にすら行っていない。

しかも、1997年当時やっていた「バレーボールステーション(VBS、V-Stationなどと表記していた)」という、バレーボール情報サイトの裏話のような記事で、私がホームページというものをいつから作り始めたのかが書いてありました。

そもそも私がインターネットに興味を持ったのは、ホワイトハウスや首相官邸といった定番のホームページを見てまわる「ネットサーフィン」をしたかったのと同時に、自分のホームページを持ちたいという自己顕示欲からだった。
だからAsk-netと契約して間もなく、最初のページづくりに取り掛かった。内容は、ありふれた自己紹介と、「おすすめAtoZ」という自分の好きなことや面白いことを紹介するコーナーの2つであった。
(中略)
では、それはいつの出来事なのか。これには正式な日付が出てこないので困るが、多分1996年の2月下旬だと記憶している。

Ask-netというのは私が最初に契約したインターネット・サービス・プロバイダ(ISP)。その前に当時のNIFTY-SERVE(現・@nifty)というパソコン通信サービスの中からTelnetを試すことができて、そこでLynxというUNIX上のテキストWebブラウザを使ってホワイトハウスのWebサイトを見たりしていたのだが、ちゃんとISPと契約したのはこれが最初です。(あと、Windows 3.1にTrumpetというTCP/IPパッケージを入れてMosaicとか動かした記憶があるのですが、これはいつのことなのだろう…。)

ということで、1996年2月下旬あたりから、私はホームページというものを作り始めたのでしょう。

ところで、インターネットアーカイブの中には文字化けで何を書いているか分からないページもあったのですが、そこに当時使っていたパソコンのスペックが書いてあって、それは英語なので読めます。

acrophaus-history_072316_114454_AM

んー、たぶん1996年5月にAm5x86というCPUを載せたPCを使い始めたということだと思います。時期はさておきAm5x86はちゃんと覚えていて、私が最初に使い始めたWindowsパソコンがIBMのPS/V VisionというCRT一体型のもので、IBMの486DXクラスのCPUが載っていたのです。で、Am5x86は486用のCPUソケットに載せられてPentiumクラスの性能を発揮するというCPUで、PS/V VisionのCPUを載せ替えたんですね。たぶん、RAMは標準の8MBを倍増させて16MB、HDDの212MBは標準のままだったと思います。なんだか、歴史を感じますね。

他にも・・・

「バレーボール・ステーション」は当時、日本最大級のバレーボール情報サイトでした。「ホームページを紹介する雑誌」なるものも多かったので、よく掲載されていたものです。そのころの記事をいくつか、当ブログのバレーボールカテゴリに掲載しました。

1999年頃にはウクレレにハマっていた時期があり、それでLELELIFEというサイトを作っていました。たぶん、ジオシティーズに置いてあったと思う・・・。その辺の記事もいくつかこちら(ウクレレタグ)に。

この辺までが、私とホームページの歴史における「近世」といえます。

で、その後はモーニング娘。をはじめとするハロプロにハマってdigitalmorningというブログにつながります。そう、ブログです。ホームページではなく。近世から「現代」に移ったって感じですね。

digitalmorningは当ブログの源流で、ハロプロカテゴリもずっと残っているので(あまりに恥ずかしい記事は非公開にしてます・・・)、まぁ、よいでしょう。’

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。