北九州にいる頃(誕生〜上京まで)

いま、私の地元である北九州に帰っているところです。

20歳で上京してから、しばらくは帰郷するのも数年に1回のペースだったのですが、最近は仕事の関係もあって、年に何度か帰って来る場所になりました。

ここから先の文章は、先月帰ってきたときにサイトのリニューアルをしたので、プロフィール用にと書いていたものです。ただ、今のところプロフィールページにアップする予定がなくなってしまったので、ブログの記事として上げておこうと思います。気が向いたら、その後のことも書いて、プロフィールページからリンクすれば良いかと。

では、始まり始まり。

キャプテンとワープロ・パソコン通信

リバーウォーク北九州。昔はこの辺にダイエーがあったはず。

小学生の頃からコンピュータに興味を持ち始める。当時、区役所などに設置されていたキャプテン端末で遊んでいたり、ワープロ専用機を親にねだったりする。最初に買ってもらったのはちょっと大きなスーパー(ダイエー)で特売になっていた短冊液晶のカシオワード。誕生日やクリスマス、さらにお年玉などで東芝ルポや大型液晶のカシオワードに乗り換える。近所の質屋で格安になった中古を買うのが定番コース。アイワの2400bpsのモデムを購入し、ワープロ通信もやっていた(草の根ネットやNIFTY-Serve)。

パソコンに移ったのは、小学生から中学生になろうとしている頃で、これも近所の質屋でMSX2+(Panasonic FS-A1WSX)を購入。ほぼ同時期に友人もSONYのMSX2+を購入しており、パソコンが主な遊びとなる。この頃、MSX BASICでプログラミングを少し覚える。

Panasonic パナソニック A1WSX エーワンダブルエスエックス FS-A1WSX
FS-A1WSX

中学校は2年生の頃から登校拒否で行っておらず、主にパソコンで遊ぶ生活。遊ぶといってもゲームをすることは少なく、主にパソコン通信(やはりNIFTY-Serve)だった。少し遠くにできたパソコン専門店(アプライド)で購入した中古の98ノート(PC-9801N)がメインマシン。MS-DOSでCONFIG.SYSとAUTOEXEC.BATをいじり続ける生活を送る。この時、無償で提供されていたLSI-C試食版を使ってC言語を少し触る。

Windowsとインターネット

Windowsを使い始めたのはIBM PS/V Visionから。CPUはIBMの486SLC、メモリ8MB、ハードディスクが212MBのディスプレイ一体型マシン。当時はWindows 3.1で、TrumpetというTCP/IPスタックを入れてインターネット接続を始めた。最初はNIFTY-Serveのインターネット接続サービスだった気がする。

以後、PS/V VisionのCPUを換装したり、メモリを増設したりしながらWindows 95を使い始める。相変わらず学校には行っていなかったが(高校は受験すらしていない)、新聞配達や長崎ちゃんぽんリンガーハットでバイトをしていたので、多少のお金があった。そのお金で、大阪日本橋まで遠征してパソコンパーツを購入し、PC/AT互換機の自作に移行。この頃になると、Microsoft Visual J+で(MS仕様の)Javaを習得。本格的にプログラミングを体得する。

また、Windows 95ブームの頃にインターネットを本格的に使い始め、ホームページも開設した。バレーボール情報サイトV-Stationは多くの注目を集め、当時存在したホームページを紹介する雑誌に掲載多数。アトランタオリンピックの頃には注目サイトとして大手新聞社系の雑誌にも掲載された。

専門学校と就職

母校、九州電子計算機専門学校小倉校(現・北九州情報専門学校)

高校卒業の年齢には、既に取得していた大学入学資格検定(大検)を取得して高卒同等にはなっていたが、それでは就職できないだろうということで、地元の専門学校(九州電子計算機専門学校小倉校)に入学。初級システムアドミニストレータ、第2種情報処理技術者の2つの国家資格をはじめ、ワープロ検定、CG検定、日商簿記、ファッションコーディネート色彩検定などを取得。無事、2年間の専門学校生活を終え、東京の企業に就職する。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。