「好きを貫く」志向性のバリエーション

今日、2つの注目すべきエントリーがあって、大変に参考になりました。若輩な私でも、ネットの隅っこのほうで様子を覗っていると、こういう人生における高度な議論を目にして、自分の何か糧にすることが出来、こうやって少し何か書けるというのは、ありがたいことです。

どんなにプログラミングが好きな人でも、毎日休まずプログラムを書き続けないと生活できないとなると、それはだんだん苦痛になってくる。
好きなことを仕事にして生きていく、というのは、本質的にそういうことなのだ。
そもそも、人は、その瞬間、瞬間で、いろんなことに興味をもち、いろんなことをやりたくなる、自由で軽やかに発散していく欲望を持っている。

それから、

振り返ってみると、私は「好きを貫く」というよりは「嫌いから逃れる」人生を歩んで来たと思う。学校が嫌いだったので登校拒否し、家が嫌いだったので家出し、日本が嫌いだったので留学し、雇用されるのが嫌だったので自営し….といった具合だ。

この2つのエントリーは、梅田望夫氏の著書「ウェブ時代をゆく」や、氏の言うところの「好きを貫く」に対する批判のように読めるのですが、私にとっては、どうも同じようなことを言っていると思えました。それ故に、「ウェブ時代をゆく」の読み方がさらに深まったような気持ちすらして、自分の目の前が明るくなったような気がしました。

なぜ、同じようなことを言っていると思ったかというと、その時々の好きという気持ちを大事にすることで、結果的に何か貫いた「好き」を持たない(ように見える)、何者でもない自分なのであれ、嫌いから逃げ、砕くというのであれ、それは結局のところ、志向性を巡るバリエーションに過ぎないのではないかと思ったからです。

梅田氏のいう「好き」は貫くほどの好きだとすれば、分裂勘違い君劇場は「その時々の好き」だから、やはり好きなのであり、小飼弾氏はもうちょっと控え目な好きというか、嫌いから逃れることによって到達する好きなのではないか。その程度の差こそあれ、何か指し示している志向性であることには変わらないのではないかと。

ところで、私はといえば、このブログを長く読んでおられる方ならご存知でしょうが、ここ2年ほど自分探しをやっているような感じです。それもいい加減に飽きたというか、探したところで見つからないことを悟りつつあるというか。

だから、「貫くほどの好き」というものは、なかなか見つからないのだ。という身をもってしての実感は十分に持ち合わせているつもりです。
そんな中で、志向性の程度においてバリエーションが現れたことは福音なのであって、目の前が少し明るくなったというわけです。

まず、梅田氏のいう「好き」にはレベルがあります。「高く険しい道」を進むほどの好きなのか、「けものみち」に進むくらいの好きなのか。

「好きのレベル」というより、「好きの持続性」といったほうが適しているかもしれません。私などは元来の飽き性であって、興味の瞬間湯沸かし器なのであって、好きの持続性にはからっきし自信がありません。
 あまり褒められたものではないし、だからというわけでもありませんが、「高く険しい道」と比べれば、「けものみち」が向いている性質だと思っています。

プロのけものみちサバイバー(なんてものがあるかは知らないが)は、きっと好きと思う対象がある程度戦略的なのではないでしょうか。バラバラのように見えて、遠目に見ると、ある程度の方向感が見て取れるというか、そんな気がします。私も、ただの飽きっぽい人間で止まることなく、せめて方向感くらいは持っていたいと思います。

「高く険しい道」に進む前で、好きのレベルを下げて「けものみち」に進むにせよ、その時々の好きと思う気持ちを大切にするにせよ、嫌いから逃げたり砕いたりするにせよ、それで3氏がそれぞれの成功を収められている理由は何ぞやというのが、次の興味であり、最も重要なことです。

私は、2つほど考え付きました。(本当はもっといろいろあるだろう。)

1つは、その時々できちんとした成果を出しているだろうということです。少なくとも何らかの成果に結びつくまでは、好きを持続しているのではないかと思います。
成果を出すからには、それだけの能力を持つまでには達した。つまり、好きの持続力が続くまでの間に「知の高速道路」を走り切る能力があったのです。
その能力とは、何でしょうか。基本的なレベルの教養というか知識というかスキルが必要なのは間違いないでしょう。それと、今ならWebリテラシーでしょうか。

もう1つは、色々な分野で共通する能力が何かあるのではないかということです。コンピテンシーのようなものかもしれません。「ウェブ時代をゆく」でいう「正しいときに正しい場所にいる」ことが出来る人間性というか、そういうものかもしれません。たぶん、運とかじゃなくて、そういう力なのだと思います。

私自身としては、自分をある程度は自由な環境に置いておきたいので、「知の高速道路」を突っ走るためのスキルや、「けものみち」を進む人間としての基本的な力を磨いておきたいと思っています。そして、飽きっぽさは納得した上で、せめて、それぞれに成果を残していける人でありたいと思っていて、それをブログに書いていきたいと思っているわけです。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。