あれから1年。

小川麻琴、紺野あさ美の卒業発表から、1年が経過しました。ちょうど、あれは2006年4月28日。ゴールデンウィークを目前にして浮かれ気分で午後の仕事をしていた私のケータイに届いた1通のメールが、私のハイな気持ちを急転直下、どん底に落とし込んだのでした。
ゴールデンウィークに入って、4月29日(ちょうど1年前の今日)、私は北海道に行くチケットを入手し、翌30日から、人生初めての北海道に旅立ちました。

傷心旅行というわけでは決してありませんが、どん底のテンションを持ち上げる効果を発揮したのは間違いなく…。(それを、傷心旅行というのか…。)
話は変わって、去年の今頃は、自分が社会人になって以来続けてきたSEという仕事について、いろいろと考えている時期でもありました。何

か、自分がSEという仕事をやっている理由、社会に貢献しているという実感、そういうものを探し始めて、自分自身の今後のあり方について、考えていたのでした。

とにもかくにも北海道に着いた私は、室蘭に行って「あぁ、ここがなっちか…」とか、札幌に着いて「コンコンだ」、「みーよだ」、「里田まいだ」、「かおりんだ」←多いよ。とか、思いつつ(なっちと同じく室蘭出身のハロプロメンバーとして大谷雅恵がいることを忘れてはならないのだ!)、ホテルでは、SE人生を考えるようなことを、していました。(なんじゃそら。)
さて、そんな私は、ハロプロの方はさておき、2日続けて羊ヶ丘展望台に行って、クラーク博士にアーキテクト宣言するという事件を起こしたのであります。

東京に帰ってきて、その1ヵ月後にはアーキテクト宣言を反故にして会社を辞めることを決め、8月末で退職。その後は行政書士試験受験を中心に、バイトをしたり旅行をしたり、怒涛と堕落の2006年後半を過ごしたのは、dm。で事細か?に書いてきたことであります。
今から振り返ると、その前に若干の予兆はあったにせよ、私の人生を大きく変えるきっかけとして、ちょうど1年前の北海道があったのであり、私をハロプロの世界に引きずり込んだ張本人である小川麻琴、紺野あさ美の卒業発表がその弾みをつけるという、絶妙なシンクロを見せたのだと思います。

何にせよ、今まで生きてきた中で、最もいろいろと考えた1年でした。11月に仙台で書いたように、「社会人としての思春期」を過ごしたのです。
「主に無職」という期間は結局3ヶ月に過ぎませんでした。12月からは派遣SEを始めました。これは(今年の)6月まで続きますが、考えてみれば、ちょうど社会人としてのリハビリのようなものです。

これからも考え続けていくでしょうが、一旦立ち止まって考えた1年の成果は、少しずつ見えてきています。一旦打ち壊した自分の価値観が、変化して徐々に組みなおされつつあります。その変化が、きっと成長というものなのでしょう。

困話休題。4月29日という日付を改めて見返したときに、「あぁ、あれから1年が経つか…」と思って書き始めた、この記事は、思わぬ長文となってしまいました。

最後に、dm。に関係のある話をしておくと、きっと、dm。もこれから変化があるでしょう。
私にとってdm。は非常に大きなものになっていますから、今さらdm。をやめるとか、そういう話ではありません。ただ、継続していくdm。というもの、そのものが、変化していく時期にあるだろう…ということです。
どのような変化になるかは、未だ私自身にも見えきっていないところではありますが、是非、温かく見守っていただけるよう、よろしくお願い申し上げます。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。