そういえば、自分もそうだった。
かつて高校進学を選ばなかった者の一人として、気にせずにはいられない。共産党にさえスルーされる彼ら–我々–ではあるが、それだけに存在を自らアピールしておく必要があるかも知れないと思い立ったので1 entryを割くことにした。
引用元: 404 Blog Not Found:高校無償化 – 高校行かなきゃダメですか?.
私の場合は、大検に合格して専門学校に行って、いまは東京でシステムエンジニアとして仕事をしている。
目下、転職活動中だ。履歴書を見ると、高校が抜け落ちているから、面接官に聞かれることもある。新卒での就職活動の時を含めると、それを聞かれたのは2回くらいだったと思う。私は新卒の時に面接1回、転職活動で面接数回、人生トータルでも10回くらいしか面接の場に立ったことはないから、4~5回に1回の割合で聞かれたことになる。これは、多いかな?少ないかな?
高校に行かなかったことで、高校生活ならではの経験というのが出来なかったのは残念だったと思う。あこがれの「女子高生」というものを間近で見ることが出来なかったとかね(笑)。
で、その期間は大検の勉強をしていたり、バイトしたりしていた。友人は多くなかったがいたことはいたし、専門学校に入ってから増えた。あとは、ずっとパソコン弄っていた気がする。ゲームはあまりしなくて、Web作ったり、プログラミングが出来るようになったりした。いま、私がシステムエンジニアとして生活出来ているのは、高校に行かなかったからかもしれない。
出来れば、当時から東京に住んでいて(地元の福岡県北九州市に住んでいた)、Twitterのようなものがあったりしたら、そうした知り合いが増えて人脈豊かになったかもしれないなぁと思うが、それは仕方ない。
そして、専門学校には行った。高校に行かなかった3年間でコンピュータやプログラミングの知識は身についていたので、コンピュータの専門学校に行った私にとって、新たに学んだ知識は少ない。せいぜい、学校の強制で受験した情報処理技術者試験で2つ資格を取ったくらいだ。どちらかといえば、就職のために専門学校に行った。東京に出たかった。専門学校に行ってその新卒で就職活動をすれば、東京に出て行けると思った。現実、そのとおりになった。
そんなわけで、高校行かなくても、こうやって暮らしている人もいるわけだ。
Wikipediaによると、高校無償化の起点となっているのは国際人権規約の中・高等教育の無償化に、日本が批准を留保していたことにある。中・高等教育となると、本来は大学も無償化の対象にすべきだから、今回はその第一弾ということになるのだろうか。
高校無償化の目下の議論は朝鮮学校を対象にするかに集中している。それも議論して良いが、私のようなイレギュラーなパスを歩む子どもたちについても議論して欲しいところだ。
高校無償化で高校に行くことの既成概念化を推し進めるのではなく、よりバリエーションに富んだ学び、成長のパスを社会が準備することにつなげて欲しい。