「考えない練習」とGTD

最近、あっさりイケメン風の僧侶の写真が表紙になってる本があるなぁと思っていたのだけど、手に取ることはなかった。4月に京都に行ったときに、お寺とか巡ったので、その勢いで僧侶の本を読んでみようかとも思ったのだが、結局思いとどまった。

先週の中頃、自分の中ではお馴染みすぎる悩みというか考え事が頭をもたげたので、果たしてこのあっさりイケメン風僧侶の本を手に取ることになった。

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あっさりイケメン風僧侶(くどいか・・・)こと小池龍之介さんの本は、書店にいくつか平積みになっていたのだが、手に取ったのは「考えない練習」。

「考えない」とは何なのか。それを「練習」するとは?

私たちが失敗する原因はすべて、余計な考えごと、とりわけネガティブな考えごとです。
「さあ頑張ろう」と決めたはずが、心が勝手に「でも失敗したら嫌だしメンドクサイからやーめた」と考え始めてしまったり。忘れたい出来事を心が勝手に「ああ、今日は嫌な一日だったなあ」と何度も考えてしまったり。あるいは一〇分休憩するつもりが、心が勝手に「このまま一時間さぼっちゃおうかな」と考え始めたり。
こうして並べてみるだけでも、いかに私たちの意識が行う思考というものが不自由で、私たち自身の足を引っ張るものであるかがわかるでしょう。裏を返しますと、心の内で勝手にピコピコと動き続けて私たちを支配する「思考」さえストップできるようになると、自らの心を思った通りに操縦しやすくなります。

本書の冒頭で、いきなり喝破されている。だから「考える」ということをやめて、目の前にあるやるべきことに集中しようよと書いてある。

人間は、目の前にあることとは別のことを、つい考えてしまいがちだ。

多くの方が年を取るにつれ「最近は年月が早くすぎてゆきますからねえ」という話をするようになる元凶は、現実の五感の情報を、過去から後生大事に蓄積してきた思考のノイズによってかき消してしまうことに他なりません。そしてノイズのほうが現実感覚に完全に勝利した時、人は呆けるのだと思われます。

そうか、つい余計なことを考えることが積み重なって、現実を上回ってしまうと呆けになるのか!忘れっぽくなるのは、他の覚えていなくてもいいことを忘れていないからなのだ。

一通り読んでみて、私が始めたのはGTD(Getting Things Done)だった。GTDは以前、何度かやり始めたことはあるのだけど、10日も経つとやめてしまっていたのだが、また始めたわけだ。

なぜGTDだと思ったかというと、GTDが頭の中で考えている「やるべきこと」をすべて吐き出して、頭の中をからっぽにすることを目的にしているからだ。

やるべきことを覚えているのは、大切なことだ。しかし、それがいつまでも気になっていたり、他のことをやっている時に思い出してしまうようでは、それはノイズでしかない。頭の中からノイズ(それを「雑念」や「煩悩」と呼べば仏教っぽくなる)を追い払うために、どういう方法をとるのか。GTDのやり方は、有力な方法の一つであることは間違いない。

GTDを始めて数日。吐き出した「やるべきこと」は、200を超えた。「やるべきこと」と言っても、本当にやるべきことだけではなくて、「やりたいこと」、「悩み」、単なる「煩悩」といったものも含まれる。それでも良いと思う。(悩みも、それを解決するべきこととすれば、やるべきことの一つになる。)要は、頭の中にあるノイズを外に出して、目の前にあることに集中できれば良いのだから。

何かを続けるために大切なこと――それは計画することです。
「計画する」というと、頭を使うことになりますから、「考えないこと」を説いているこの本の趣旨と逆じゃないか、と思う方がいるかもしれません。
しかし最初に計画を立てることによって、その計画通りにことを進めれば、あれこれ考えねばならない時間が少なくなるため、結果的に心身に良い影響を及ぼします。

まさに、GTDが説く効用と同じことを述べている。

ただ、頭の中にあるノイズは「やるべきこと」だけではない。「やるべきこと」以外の、GTDでは上手くいかないノイズもある。

人と話していて、「この人は自分のことをどう考えているんだろうなー」とか、「次にこれを言えば自分の方が勝てるなー」とか、そういうこともノイズだ。人と付き合う上での余計な考えごとと言えようか。

「ある人にメールを送ったのに、まだ返信が来ないなー」とか、「あの人がブログに新しいエントリーを書いてないかなー」とか、「このテーマについて新しいニュースが出てないかなー」とか、情報に関する刺激も、ノイズになりがちなことだ。情報のインプットを絞ることも、必要だと思う。

本書では、話す、聞く、見る、書く/読む、食べる、捨てる、触れる、育てるという8つのテーマで、いかにノイズを取り除き、目の前にあることに集中するかが説かれている。

仏教で「無我」という言葉を聞く。つまりは目の前にあることに集中するかということだと思う。具体的にどうやればその心境に立てるのか。さらに読み込んでみようと思う。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。