プロフェッショナルになりたい その2

その1を書いてから2日が経った。その日の夜に書くはずだったのだが、落ち着いて書く時間がとれなかった。

さて、そもそもプロフェッショナルとは何か、SEという仕事はプロフェッショナルに値するかというのが、その1で残した課題だった。まず、プロフェッショナルとは何なのかについて検討したい。

私がプロフェッショナルになりたいと思い始めて何年も経つ。その間にいろいろな本を読んだりして考えていたのだが、そうしたバックグラウンドが生み出した直感のようなものがあった。プロフェッショナルの定義は能力的なものとマインド的なものの2つから成るだろうということだ。

昨日の朝、読み返していた本がある。波頭亮さんの「プロフェッショナル原論」だが、我が意を得たりと思うプロフェッショナルの定義が挙がっていた。以下のようなものだ。

1.職能に関する規定
プロフェッショナルは極めて高度な知識や技術に基づいた職能を有していなければならない。
特定の専門分野に関しての深く高度なものでなければならない。

2.仕事の形式に関する規定
特定のクライアントからの特定の依頼事項を解決してあげるという形式
受託型、オーダーメード型、案件型

3.身分に関する規定
プロフェッショナルはインディペンデント、即ち職業人として独立した身分
・組織に属さないフリーの立場であるという意味
→プロフェッショナルな仕事においては、誰の命令も受けないし、誰にも管理されない。
・仕事を自己完結することが出来るという意味
→自分自身さえいれば仕事ができる。資本も組織も大がかりな設備も不要

さらに、professionalのprofessとは誓いを立てるという意味であり、その誓いとは、

社会に貢献し公益に寄与することを目的、その目的を果たすために定められているプロフェッショナルの掟を守る

ということだ。さらに、波頭さんなりの掟として、以下の5項目が挙げられていた。

1.クライアントインタレストファースト 顧客利益第一
プロフェッショナルの仕事とはクライアントの利益に貢献すること自体が目的であり、会社や自分自身の利益は仕事の目的関数の中で決して優先してはならない
プロフェッショナルに対して顧客は言いなりにならざるを得ない関係

2.アウトプットオリエンテッド 成果指向 →仕事の必要条件
必ず結果を出す覚悟(コミットメント)、問題解決指向(プロブレムソルバー)、結果だけで評価

3.クオリティコンシャス 品質追求 →仕事の十分条件
アウトプットのレベルの高さと、そのアウトプットに至る手法の両面において最高水準の品質を追求しなくてはならない
→未来のクライアントインタレストに対する貢献であり、公益への寄与にもつながる
→一流のプロフェッショナルが設定すべき目標水準は世の中での最高レベルという線引き以外には無い。
「自らの職能を頼みに自尊の念で自らを支えて生きていくプロフェッショナルが、自己実現と誇りを賭けて追求するわけであるから、その執着の度合いは強烈である」

4.ヴァリューベース 価値主義
ヴァリューを追求するためにはコストは問わない
自分の時間とエネルギーは可能な限り最も付加価値の高いプロフェッショナル本来の業務に集中投入しなければならない
※贅沢の合理性

5.センスオブオーナーシップ 全権意識 全て決め、全てやり、全て負う
他人をアテにしない

能力とマインドという私の直感に、仕事の形式や立場の定義が加わっていると見た。それにしても、ここまで書かれてしまうとグウの音も出ない。おなかいっぱいだ。

では、SEという仕事がこうしたプロフェッショナルの定義に当てはまるのかを検討したい。

まず、3つの定義を検討しよう。「仕事の形式」については、私がいままでやってきたような仕事の形式がそのまま当てはまる。特定の顧客から特定の依頼(例えばシステムの構築)があり、それを解決(システムの構築にまつわる諸問題を解決した上、実際のシステムが稼働するまで請け負う。さらにその先の運用まで見ることも多い。)するのが仕事だから、疑念を差し挟む余地はない。

気になるのは「職能」と「身分」だ。極めて高い知識や技術を持っているか。職業人として独立した立場であるか。SEが持つITに関する知識・技術は、世の中一般と比べて明らかに高い。しかし、「極めて高い」とまで言えるのか。SEのほとんどは会社勤めであり独立した立場とは言えないようにも思うが・・・。

私が出した回答は、「SEだからプロフェッショナルなのではない、プロフェッショナルなSEがいるだけだ」ということである。波頭さんはコンサルタントであり、自らをプロフェッショナルとして定義してこの本を書いている。波頭さんはきっとプロフェッショナルだろう。しかし、コンサルタントを名乗る人が全員プロフェッショナルなのか。やはり、プロフェッショナルと呼ぶに値するコンサルタントがいるというだけだろう。もちろん、SEにせよコンサルタントにせよ、その職業に就いているというだけでプロフェッショナルと思われることがベストである。それはそれぞれの業界を挙げた取り組み次第だろう。

身分についても、やはり人によるのではないか。すべてのSE及びコンサルタントが独立した立場にあるかというと、それは違うという他ない。しかし、職能や(5つの掟に代表されるような)職業意識、それまでの成果といったものが極めて高く評価されるならば、独立した振る舞いが望まれ、またそのような振る舞いが出来る仕事の選択が許されるだろう。別の見方をすれば、そのような職能や意識の高い人は、特定の会社に依存しない極めて高い汎用的な能力を身につけているということであり、仮に所属している会社を離れたとしても、すぐに次の仕事に就けるだろう。独立とは必ずしもフリーランスや自ら起業することを意味するのではない。

つまり、SEという仕事は、「=(イコール)プロフェッショナル」と評価するまでは洗練されていない。しかし、十分に洗練される余地があり、また個人のレベルでは、プロフェッショナルと評価されるほどの高みに立つことも可能ではないかと思う。

私はいま、「前向きなあきらめ」が必要なのではないかと考えている。私はここ数年、あれもこれもと望みすぎていた。世の中にあるすべてのことが出来る人はいない。だから、人は自らを何かだと定義しなければならない。それはある意味で他のことをやらないという宣言であり、つまり他のことをあきらめるということだ。そして、自らを定義した何かに対して覚悟を決めるのである。このあきらめは決して後ろ向きなものではない。そして、自らを定義した何かに対する覚悟が功を奏して、その何かにおいて高みに立てたとき、他のことも別次元で良く見えるようになるのではないだろうか。

その高みにいる人こそ、プロフェッショナルだと思う。

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この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。