「想い」に共感できるエンジニアであるということ

さて、こうした時代背景を前提に言うと、エンジニア個人も「想い」に忠実になって開発に臨む、もしくは想いを持つ人とのコラボレーションで開発に臨むことが、これからの時代にヒットサービスを生むための糧になると考えています。

引用元:FacebookとGoogle+の違いから、ソシアルな時代の「優秀な開発者」を定義する【連載:中島聡①】|エンジニアtype

エンジニアにとっての「想い」の重要性は、それがWebサービスを作っているような、特に個人商店的にやっているような人と、SIerで働いている人では、違うような気がしないでもありません。
つまり、個人商店的にやっていればその想いは極めて強いだろうし、SIerなら想いは弱いというように。

それはある意味で事実だと思っています。でも、それはSIerだから弱いのではなくて、想いが弱い人でも今のところ勤まるのがSIerという会社であるという意味で。
中島さんも「ヒットサービスを生むための糧」と、サービスの開発を前提としています。

グーグルにとってのGoogle+が、「ネットの力で人と人とをつなげたい」というWhy?ではなく、「自分たちのサービスの土台となるログをもっと多く集めたい」というWhy?から生まれたものだとしたら、今後も困難が続くでしょう。

引用元:FacebookとGoogle+の違いから、ソシアルな時代の「優秀な開発者」を定義する【連載:中島聡①】|エンジニアtype

Why?は、SIerでも持てると思うのです。
もちろん、そのためには下請けで開発ばかりやっていてはHow?ばっかりでWhy?が見えないから駄目だし、上流だけやっているとWhy?を切り出すだけで、それを実現することができないから駄目。

SIerは誰かのためにシステムを作る仕事なので、その誰かと、いかに想いを共感するかが、Why?のある仕事につながると思うのです。

もしも羽根さんが「こういうソフトをいつまでに○○○万円で作ってほしい」とおっしゃっていたら、こうはならなかったでしょう。2人で話したのは、「既存の教育アプリは『自分で学習する』ためのツールでしかなかった」、「そうじゃなくて、いつもポケットに先生がいて、その先生とマンツーマンで『一緒に勉強できる』ようなツールがあったらいいね」ということだけです。

引用元:FacebookとGoogle+の違いから、ソシアルな時代の「優秀な開発者」を定義する【連載:中島聡①】|エンジニアtype

SIerの仕事は、「こういうソフトをいつまでに○○○万円で作ってほしい」という種類のものが多いですね。
いつまでに○○○万円でというのは、QCDのC(コスト)とD(納期)なわけで、これは生産活動の基本です。だから、これを蔑ろにすることは、やはり出来ない。

でも、それで終わりじゃつまらないと考えるのが重要だと思います。

想いを実現するために、利害を度外視して良いということはあり得ないし、「タイムベース戦略」という言葉があるように、より早く価値を提供できた方が勝つ時代であるのも事実です。どんな組織でも原則的にはゴーイングコンサーンが前提であり、そのためには相応のおカネが必要です。そもそも、組織が存続していないと、想いは実現できません。

つまり、想いは実現しないといけないし、利益もあげないといけないし、利益のためにはスピードも重要。そして、もちろん品質も一定以上を維持しなければならない。これって、かなりの無理ゲーなんじゃないかという気もするわけです。

しかし、それを実現するために技術というものはあるのではないかと思うし、そういう厳しい戦いを続けるために想いの強さは重要。結局、最後は「想い」に戻ってくるわけですね。

ちなみに、わたしと羽根さんの関係がそうであるように、想いをともにする相手は上司と部下、同僚たち、ビジネスパートナーである必要なんてどこにもないのです。その昔、創業者がいたころのパナソニックやソニーは、きっと上司・部下という役職や、技術者や営業マンといった違いも関係なく、同じ想いを胸にゴールに向かって走っていたんじゃないかと思います。

引用元:FacebookとGoogle+の違いから、ソシアルな時代の「優秀な開発者」を定義する【連載:中島聡①】|エンジニアtype

私も「想い」に共感できるエンジニアでありたいと思います。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。