高野山の宿坊に泊まってメディア断ちしてブログについても考えた

昨日から高野山の宿坊「光明院」に泊まって、今は朝のお勤めと朝食が終わって、Macに向かってこの文章を書いています。

メディア断ちの長い10時間

昨日、高野山に向かうときからデジタル断ちというのをして、Macはもちろん、iPadも使わない、スマホを使わない、ついでにテレビも見ないということをやってみました。
大阪なんばから高野山に着いて宿坊に入るまでの約4時間、宿坊に着いてから夕食までの約2時間、夕食や入浴が住んでから寝るまでの約4時間、合わせて10時間ほどメディアから遠ざかっていたということになります。

今から考えるとたった10時間のことですが、とても時間が長く感じました。
特に寝るまでの4時間ですね。普段なら、テレビの電源はONになっていて何かが流れているだろうし、大抵MacかiPadを弄っているだろうし、合間合間にスマホも弄っていることでしょう。さらに、昨日はアルコールも断っている(宿坊とはいえ、夕食時には般若湯もしくは麦般若・・・つまり日本酒かビールを頼むことが出来るのですが、敢えて断りました)ので、酔いに任せて寝るということもない。

旅のお供の一冊

今回、高野山に来ようと思ったのは、静かな場所でちょっと考え事をしようと思ったからで、その参考になりそうな本を一冊、なんばのジュンク堂で買いました。

この本が見つかるまでの間に、前もって予約しておいた「特急こうや」が出発してしまい、せっかくの座席指定の特急を乗り過ごすというアクシデントはあったのですが、この本に出会えたことは良かった。

高野山は真言宗の開祖である空海(弘法大師)を開いた山で、その中心部にある金剛峯寺は高野山真言宗の総本山です。ちなみに世界遺産にも登録されているのは有名だと思います。
そんな高野山なので、空海に関する本にしようとは決めていました。

以前にも高野山には来たことがあって、その時は高野山の中にある宗教書の取り扱いが多い土産物店で、ひろさちやさんの本を買って、なんばへの帰りの特急の中で読みました。

これも良い本だったので、また同じ本でも買って読むかなぁとも思ったのですが、今回は白川密成さんの「空海さんに聞いてみよう。」が当たり本でした。

空海の残した言葉を問答形式にまとめ、それに白川さんが短い解説を付けています。さらに「たとえば何かやってみよう」というコーナーがそれぞれの言葉に付いていて、これが考え始めるきっかけとして良いのですね。
メディア断ちしている10時間のうち、高野山の観光に充てた2〜3時間を除いて、ずっとやってた。

で、何を考えたのか

仕事のことやら、人生のことやら、いろいろ考えたのですが(それだけ白川さんの本に考えさせられる内容が多かった)、このブログについても考えました。

ブログというものを始めて早10年、年がら年中、右往左往しているのですが、ここ最近は特に顕著になっていました。ブログに書いてきた記事を、分野毎に分割したり、やっぱりやめたり。

なんだかんだとブログというものは自分にとって重要なもので、ある意味で分身なんですね。ということは、それが右往左往してきたということは、私という生身の本体自体も右往左往、興味の向く先、注力する先を集めたりバラしたりしていたということです。

文の起り必ず由有り。

そんな私が出会った空海の言葉がこれでした。

人が文章を書くのには必ず理由がある。
天が晴れわたっているとさまざまな天文現象を示し、
人が感動すると筆を含んで文章を書く。
道に迷う平凡な人間と聖者とでは人間が違い、
昔と今とでは時代が異なるとはいうものの、
人たるもの、心の悶えを晴らそうとすれば、
詩文を作っておのれの志を述べずにおられようか。

これは空海が24歳の時に書いた「三教指帰(さんごうしいき)」の中の一節だそうです(但し、現代語訳)。
「三教指帰」は空海が僧侶になる決意を固めた時に書いた本ということで、若さや決意の強さが溢れる文章だと思います。

この一節にあたったのは、私にとっては免罪符と言ってしまってはいけないのでしょうが「あの空海でさえ、書かずにはおられないのか」ということで、だったら、私が何を書こうが知ったこっちゃないなというか。まぁ、思いのままに書くのが良かろうということです。

さらに・・・

寺院の僧侶は、
一方にかたよって仏教の経典のみを学習し、
大学の秀才は、
仏典以外の書物のみを読みふけっているのが
実情である。

これは専門に偏った学びへの警句で、時には他の分野に興味の対象を広げることを勧めています。
私は社会人になってからずっとITエンジニアとして飯を食ってきて、これからもそれは変わらないと思うのです。だから専門はあくまでITエンジニアリング。でも、他の分野の学習にも興味を持ち、手を付けてきました。手を付けるだけではなく、もう少しきちんと学ぶべきだとは思いますが、そうした興味の拡散は前向きに考えたい。
だから、ブログとしても分野ごとに分けない方が良いのではないか。もちろん、専門は専門として、きちんと時間をかけてやっていく必要があります。

自己を磨きぬけば、
他人のための行に応じることができますが、
そのためには時間を積まねばなりません。

まずは書くこと

珈琲処 西利の珈琲と豆腐クランチ

心に響いたところを紹介し始めると終わりそうにないので、これで最後。

もし病人に向かって、
病理学や薬学の本をいくら読んで聞かせても、
体内の奥深くにある病源を根治することはできません。
必ずや病いに応じて薬を調合し、
処方箋どおりに服用させるべきであって、
このようにしてはじめて病気が消え去り、
生命を保ちながらえことができるのです。

つまり、ブログをどうしようかと考えている暇があったら、まずは書け!とうことですね。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。