経済学の発生と古典派経済学

経済学は、経済が自然経済から商品経済に移行するに連れて発生したといえる。

中世封建期は、各地の領主を中心に土地を仲立ちとした現物経済の時代であった。その領主のうち1つが圧倒的に強くなり、絶対王政に転換すると、官僚制や常備軍の設置により政治に金がかかるようになる。それに連れて、租税は金納化して貨幣が流通し、商品経済への転換が始まるのである。

初期の経済学はイギリスに見られる重商主義である。重商主義は、前期の重金主義と、後期の貿易差額主義に大別される。後期のトマス・マンの主張は、G~W~G´で定義される商人資本主義そのものである。富の発生を流通に見出していること、富を財宝に置いていること、売買のうち「買」を重視していることが、特徴である。

一方、フランスでも、コルベールによって重商主義的政策がなされたが、農家に重税が課せられ疲弊を招く結果となった。その反動から、土地こそ富の源泉と捉える重農主義が生まれた。その代表的な経済学者はフランソア・ケネーである。

ケネーの主要な成果に経済表がある。経済表は、農業者を生産階級、商工業者は農業の生産物を消費する不生産階級、さらに地主を加えた3つの階級の間での生産物の分配と、再生産の関係を、図として表現した。経済循環の発見が功績である。

18世紀になると、イギリスでは、マンデヴィル、ロック、ハチソン、ヒュームらの社会科学や道徳哲学の領域から、経済的自由主義が台頭した。初期の経済的自由主義では、贅沢が富裕を生み公益になるとしたが、神学的な影響から道徳的には悪と考えた。利己心が経済的発展を生むことは認めるものの、社会的な安定のためには、最終的に利他心を優先することが必要と考えていたのである。

ここで、取引関係においては、相手との合意を必要とするために利他心が発揮されざるを得ず、利己心の発露として現れるとし、利己心と利他心は相反せず折衷すると述べたのがアダム・スミスの「道徳感情論」である。経済的自由主義は経済的発展だけでなく社会的安定をももたらすとしており、(最後の重商主義者である)ジェイムズ・スチュアートが主張した、為政者の必要性も否定した。

スミスの成果は数多い。「国富論」においては、分業による生産力の向上と、貨幣の普及による商品経済の発展を述べている。富を使用価値(必需品と便益品)と定義し、価値は、労働にその源泉を見出している(労働価値論)。経済発展を資本蓄積の進度によって二分し、資本蓄積の行われていない初期未開社会では投下労働価値論を、資本蓄積が行われた後は支配労働価値論を採用したこともスミスの特徴である。

スミスによって誕生したイギリス古典派経済学は、デヴィッド・リカードやトマス・R・マルサスに引き継がれた。

リカードは古典派経済学の完成者といわれる。その原理は、後にP・ディーンが4本の柱にまとめた。第1は投入労働価値論である。スミスを受け継いだものであるが、リカードは初期未開社会でも資本らしきものはあると主張し、資本蓄積の有無による価値論の二分を否定した。また、価値の分配においては価値分解説を採る。分配範疇はまず賃金と利潤であり、さらに次に述べる地代とし、三階級三分配論である。第2は差額地代論である。土地の生産物の価値は最劣等地での生産費で決まるとし、優等地においてはその差額分だけ地代が発生するとした。第3は賃金の生存費説である。賃金にも自然価格が存在し、それは労働力の再生産に必要となる程度に落ち着くとした。第4は、収穫逓減の法則である。これは差額地代論の前提であり、人口増加による穀物需要の増大に従ってより劣等地での耕作に進まざるを得ず、収穫は逓減していくとした。

マルサスはまず「人口論」(当時のイングランド救貧法を批判し、貧困者の産児制限等を提唱するため、人口は等比数列的に、生活資料は等差数列的に増える自然的事実を主張した。)で著名となったが、後の「経済学原理」において、消費と生産の関係では、一般的過剰生産が起こり得るものとした。一般的過剰生産は、資本蓄積は資本家の節約によるものとし、それを食い止めるために地主階級の地代収入に期待した。マルサスは需要側面を重視しており、支配労働価値論を採用しているのである。

19世紀前半に発生した周期的恐慌は、周期的に発生する一般的過剰生産を解消するシステムであった。リカードによる一般的過剰生産は起こり得ないと主張は、誤りだったのである。また、古典派経済学が前提としたように、資本主義が既に完成された絶対的な社会形態ではないことも明らかになった。

古典派経済学を完成させたリカードの理論においても、未だ解決されていない問題があり、矛盾も存在することが明確となり、リカードと対立したマルサスの理論においても同様であった。このような問題や矛盾は、古典派経済学では解決されることなく、マルクス経済学の登場を待つことになる。古典派経済学は解体せざるを得なくなったのである。

<参考文献>
根井雅弘「経済学のことば」講談社現代新書、2004年
ロバート・L・ハイルブローナー/中村達也・阿部司(訳)「私は、経済学をどう読んできたか」ちくま学芸文庫、2003年

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。