フリーランスのブログとのつきあい方

ここ最近考えていたこと。
それは、個人ブログと屋号サイトの関係をどうするか?ということです。
いや、もちろん、もっと考えないといけないことはあって、それはそれとして考えていたのですが、ことある毎に頭をもたげてきていたのは、まさにこの極めて個人的な問題なのです。

個人ブログは、INOCCU VISIONとして以前から運営していて、Artisan Edgeは私が最近始めたフリーランスエンジニアとしての屋号です。Artisan Edgeにはサイトもあって、会社っぽい体裁にしてあります。

で、Artisan Edgeでは、artisan edge thinkingというブログをかなりの気合いを入れてやっていて、その気合いが1ヶ月したくらいの頃に気合いが尽きて、個人ブログの方に吸収されてしまいました。

だいたい私のブログは始めたり止めたりの繰り返しで、ちっとも継続性がないのですが、でも書き連ねた記事というものはあって、その記事を捨てずに統合すると000本くらいの記事が溜まることになります。

「ブログ営業術」的な?

前置きが長くなりましたが、つまり考えていたのは、個人ブログを続けるのが良いのか、artisan edge thinkingのような屋号サイトのブログに切り替える方が良いのかということです。

Artisan Edgeは始めたばかりなので、名前を広く知ってもらえるようになった方が良いでしょう。つまりブランディングをやらないと。でも、どうやってやるの?そうだ、ブログだ!という筋です。もっと言うと、私を「井上研一」じゃなくて、「Artisan Edgeの井上研一」と知ってもらった方が良かろうということです。

「たかがブログ」と思うなかれ。

この問題は表面的には「たかがブログ」なのですが、私にとってはもっと大きな意味を持っています。私自身にとってArtisan Edgeをどう位置づけるか?ということだからです。
私はブログを10年くらいやっていて、それは社会人としてのかなりの割合になります。ブログの前にやっていた個人サイトとかを含めると20年近くになるので、社会人経験どころか人生の半分以上ということになります。それほど、ネットに自分をさらすという行為は生活の一部になっているわけです。

だから、ブログをどうするかというのは、大問題なんですね。つまり、自分がどういうブログをやるか=自分がネットにどう見られたいかであり、いまやほとんどネットと世の中は近似値なので、世の中で自分のアイデンティティをどう作って行くかみたいな話でもあるのです。

Artisan Edgeは自分のすべてではないだろう

Artisan Edgeという名前を作ったのは去年の7月、本格的に活動し始めたのは今年の1月で、まだ数ヶ月しか経ってないわけですが、これからの人生、すべてがArtisan Edgeに依拠することになるかというと、それは違うだろうと思っています。もしかしたら、法人化して社員も雇ってということになって、相当長期間続くこともあるかもしれない。でも、立ち上げる会社の名前がArtisan Edgeとは限らない。共同創業ということなったら、また別の名前を考えるでしょうから。

では、いまから数年くらいのスパンで見たときはどうか。それくらいのスパンなら、ずっとArtisan Edgeかもしれません。でも、そのスパンのそれぞれのタイミングで時間を輪切りにしたときに、常に100%のウェイトを占めているかというと、それもまた違うのではないかと。むしろ、そうしない方が良いのではないかと思うのです。

というのは、これからの時代の働き方のようなものを考えたり、本やネットを読んだり、話を聞いたりしているうちに、頭の中でまとまってきたことがあるからです。
それは、まだ言葉にするのが難しいのですが、フリーハンドを常に保っておくことの価値がどんどん高まっているのではないかということなのです。目の前に一つの仕事があって、もちろん、それは一所懸命にやる。でも、頭のどこかにそれ以外の活動、あるいは選択肢でも良いのですが、そういうものを常に流しておいた方が良いのではないか。さらに、その「遊び」のようなものが、目の前の仕事にも好影響をもたらすのではないか。

これは、数年とか、数十年といった比較的長いスパンでも言えることです。ずっと同じ人たちと同じ場所で同じ仕事をしている必要はなく(というか、そんなことは夢物語か過去の遺物だろう)、機を見るに敏で、次から次へと乗り移れる自由さがあれば良い。

屋号も重要だが

「Artisan Edgeの井上研一」という立場自体は、フリーランスになる前に思っていたよりも重要でした。名刺交換する機会が増えて、その際に屋号があった方が何となく良いような気がするし、仕事用のメールアドレスも欲しい。やっぱり、名刺に書いてあるメールアドレスは、専用のドメインの方が良さそうです。

と、その重要性は実感しているのですが、だからといって、その屋号へのこだわりが強くなりすぎると、フリーハンドが失われる気がするのです。つまり、私はその時、その時に面白い、人の役に立ったと思える仕事をしていれば良いわけだから、それがArtisan Edgeである必要はない。
どんな時でも、自分を何かに縛り付けて身動き取れない状態に置きたくないということでしょうか。

裏側にある責任

と、ここまで自由とかフリーハンドを強調してきましたが、それはバイトで食いつなごうとか、最近流行のノマドじゃなきゃだとか、そういう意味ではありません。フリーハンドでいるためには、それだけのプロフェッショナルスキルが必要です。誰かにとっての価値が提供できるからこそ、フリーハンドでいられる。つまり、特定の会社に頼らなくても良いスキルを身につけなければ、その会社への依存を断ち切ることは出来ないのです。

この辺のことは、最近読んだ「ワークシフト」という本に詳しいのですが、自分が個人としてプロフェッショナルスキルを維持し、かつ何かに縛られず自由に仕事が出来るようにしておくということは、これからの時代を生き抜くためのサバイバルテクニックではないかと思うのです。

つまり、自由だとかフリーハンドだとかということに浮かれているのではなく、ちょうど数年前に梅田望夫氏が言っていた「けものみち」に近い思いのような気がします。

ということで

なんだか話が大きくなってしまいましたが、こういうことを考えた結果、あくまで個人としてのブログの価値に注目したいわけです。いかに自由だフリーハンドだと言っても、自分というものからは離れられないのであり、その自分自身のネット上におけるホームが、このブログなんですね。つまり、個人ブログをこれからも続けていくというのが現時点での結論になりました。

ということで、ネットでは個人ブログをベースとして活動し、リアルで個人ユニットとして活動する場合にはArtisan Edgeの屋号を使うという位置取りをしばらく試してみようと思います。

WIREDのこの号(最新号ですが)の特集「未来の会社」も、刺激的、この記事のインスピレーションになりました。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。