今日も、ここから。「サバイバル」という言葉に関する批評がいろいろあるようで、そのおかげといっては何だが、さらに分かりやすく、諭すように書いてくれているのは、個人的にはありがたい。
まずそこまでが「当たり前の世界認識」。じゃあそこからどうするかというときに、「好きなことを貫く」ことで競争力を出そうね、「好きなこと」でなければ徹底的には続けられないよね、それはネットが増幅してくれるよね、という話になるわけだ。
My Life Between Silicon Valley and Japan – サバイバルという言葉が嫌いなら使わないで話そうか
私自身は、この考え方を批判する気はないので、そのまますとんと落ちてくる。まぁ、信者と言われてしまうかもしれないが。ただ、もっとレベルの低い話をするし、今の議論とは外れたことを書いてしまうが、「好きなこと」が分からない人はどうしたらいいのだろうか。
私の場合は、ここ1年以上も自分探しというか、好きなことって何だろう、得意なことって何だろう、自分は何をしたいのだろうということを考えてきた。その結論は未だに分からないし、挙句の果てにはうつ状態と診断され、薬を処方されるまでになってしまった。経済的にもなかなか厳しい。こんなことなら、無謀な試みなどせず、正社員(2000年4月~2006年8月は某中堅SIerのSEであった。)のままいれば良かったのかも…なんてことも思わないでもないが、いまさらそれを言っても始まらない。出来れば、後戻りではなく、前を向いて、ここを凌いで…と思っているが、それが故に、無力感、無能感は強まる一方だし、判断力も低下しつつあるような気がするし…と、悪循環にハマっている。これでは、サバイバルどころか、サバイバルのスタート地点にすら立てていない状態だ。
交換可能な能力を高めることが、好きなことを貫くための妨げになることも少なくありません。仕事は、その仕事をこなす能力を持つ人のところにやってきます。交換可能な能力を高めれば、交換可能な仕事が大量に押し寄せてきます。
そんなわけで、いくつかのエントリーを見て回ってブックマークしたりしたのだが、まずは、小野和俊さんのエントリー。交換不可能な能力を磨くこと。まぁ、自分の中で交換不可能な能力とは何か、少なくともその種になりそうなものは何か、それは見つけないといけない。それは本当に交換不可能でなくてはならない。引用部分にあるように、交換可能な能力が高いようだと、逆に交換可能な仕事ばかりが増える。自分自身でも出来る気になってしまう。それだと、いつまで経っても交換可能な仕事ばかりが続いて、いつまでも不満を抱えたまま、自分自身の交換不可能な能力を見失ってしまう。
まずは、今ある仕事をきちんとこなすところからはじめて見よう。それは必ずしもあなたが好きな仕事ではないかも知れない。好き嫌いはさておき、どうしたらその仕事がきちんと片付くかを考えてみよう。仕事そのものを目標にするのではなく、仕事の完了を目標にするのだ。大事なのは、やりとげるまできちんとやること。
その一方で、あまりに自分探しにとらわれてしまうと、自分というものが今の自分とは違う、別のところにいるような感覚に陥ってしまう。「新規蒔き直し症候群」とか「青い鳥症候群」である。その解決策は、まずは目の前の仕事を何とかしようよ…という考え方。
それを言えば、プログラマーだってそうだ。かつてプログラムはハードウェアのおまけだった。しかしそれを好きな人たちが、「プログラムで出来ること」を増やして行った結果、独立した仕事として成立するだけの市場を確保した。
(中略)
仕事そのものを生み出す仕事そのものは、「仕事化」できないということ。それが「仕事」になるまでは、「遊び」にしておかなければならない。その間の糊口をしのぐためにも、すでに「仕事」になっているものはきっちりやっておくべきだろう。
同じエントリーからだが、好きを仕事にするには、その仕事を作れば良いという考え方もある。そこで出来た仕事というのは、間違いなく交換不可能な能力によるものということになるだろう。
いずれにせよ、「やり遂げる」というプロセスは必要不可欠で、まずはそこから…ということか。