「自称“ニート”」=現代の知的生活者?

田口元の「ひとりで作るネットサービス」探訪:「圧縮新聞」「訃報ドットコム」始めて半年で数々のサービスを生み出す、自称“ニート”──phaさん – ITmedia Biz.ID
今は仕事をしていたときに貯めた貯金を切り崩して生活しているというphaさん。今の生活がすごく気に入っている。「朝はゆっくりと起きて、天気が良かったら散歩に出かけます。すごく幸せだなぁ、って思います」。元々それほどお金を使わない性質なので、続けられるだけ今の生活を続ける予定だという。

はてなブックマークを見ていると、ちょくちょく名前の出てくる自称“ニート”のphaさん。
この文章を読むと、凄く憧れる自分がいる。それは、良いことなのか、どうなのか。
というのも、私も去年の夏~秋頃は、ニート同様の生活を送っていた。行政書士になるといって会社を辞めて、試験日まで勉強することにしつつ、その実は遊んでいた。それまでの貯蓄やら僅かなボーナスや退職金を切り崩して生活していた。その期間は、phaさんと似たような境遇であったといえる。

それなのに、 なんだ、この差は。
遊んでいたから行政書士の試験にも落ちたし、「元々それほどお金を使わなくもない性質」なので、その生活は長くは続かなかった…。
あの期間は、何を生み出したのだろう。それまで出来なかった経験もいくつかしたので、社会勉強にはたしかになったと思う。しかし、社会に対して何か生み出したかというと、何も生み出してはいない。今の生活も、正社員が派遣になったというだけで、相変わらずSEの仕事をして、相変わらずハロプロを追っかけたりして、相変わらずこうやってブログを書いている。
何かの成果を出すというのは尊い。
世の中は、何かの成果に対してでしか、人を評価しない。
何か受身な行動をしたり、うじうじ考えたりするのも、必要なことではある。インプットがなければ、アウトプットも難しい。
しかし、インプットしているだけの間は、何の評価も得ることは出来ないのだ。
もう一つ、phaさんのインタビューを見て思うのは、「人を集める力」の大切さだ。
仲間を集めて別荘を買ったり、「もくもく会」なるものをTwitterで呼びかけたりする。
人を集めることが出来ないと、世の中に影響を与えることも出来ないのではないだろうか。
そして、この行動力も素晴らしい。
さて、こうしたことを考え合わせていくと、以前、このブログで書いた「知的生活と不労所得」に結びつく。出来れば、左にリンクしたエントリーを参照して欲しい。
phaさんのこの生き様は、インディペンデントであるといえないか?
現代の知的生活者の姿といえないか?
私が古い本を引っ張り出してあーだこーだ言っている間に、するりとそういうことを実現している人がいる。
それがこの時代の特徴なのかもしれない。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。