「グーグル」を読む

[itemlink post_id=”1692″]

Googleについて述べた新書という点で、梅田望夫氏の「ウェブ進化論」と比較されることの多い、佐々木俊尚氏の「グーグル」を読んでみました。

ポイントと思ったのは、

  • Googleはメディアであり、広告スペースとなる媒体を拡大し続けていること
  • Googleは司祭であり、新たな権力であること

の2点。

中盤も終わりにさしかかるまでは、概ねGoogleに好意的な論調であったのが、終盤は一気に批判に回っています。
Googleがすべての情報を押さえ、力を持ち過ぎることへの懸念が存在することは事実であり、それがGoogleの圧倒的な技術力と、明晰なビジョンの証左ともなっているのも、また事実でしょう。

Googleが出来の良い検索エンジンである限りは、収集される情報は、元々の情報の持ち主がオープンにしたものに限られたわけです。
しかし、Googleが様々なサービスを提供することによって、積極的にオープンにしたわけではない情報までもが、Googleによって収集されるようになったのですね。(もちろん、ソフトウェアロジックで処理されるだけで、直接人間の手に渡るわけではありませんが、立派なデータソースを獲得しているのは間違いないのです。)

しかし、そうしたことは、今までも全く存在しなかった、というわけではないはずです。
ただ、Googleの方が、頭が良いというだけでしょう。

Web 2.0の構造は、基本的に分散型なはずで、Googleへの一極集中ではありません。
とはいえ、やはりGoogleの頭の良さが抜きん出ていて、集めた情報が価値を持つようになるための一定の情報量に、誰よりも早く到達してしまうということでしょうか。
結局、Googleが作り出したルールでゲームを展開する以上、言い出しっぺには敵わないのは当然です。
そうなると、1つのサービスには、1つのプレーヤーがいれば十分、などという面白みのない展開になってしまいます。大抵がGoogleで、一部だけAmazonのような状態。
インターネットの本質的なオープンさを考えると、健全ではありません。

今後は、現実世界とネット世界の壁が低くなるというか、現実世界でのデータソースが積極的にネット世界に入っていくということになると思います。
とにかく、コンピュータの能力を、人間の利便性のために使おうとすると、データソースの数とデータ量が重要です。
その時に、すべてを、Googleのサービスに寄せてしまうのは面白くない。
現実世界のデータソースをネット世界に持ち込む時に、Google以外のパスというか、選択肢が用意されている必要があるということです。
もともと技術自体はオープンなものなのだから、何とかするしかありません。

順序が逆ですが、Google=メディア企業論について。
現在の収入源が広告ある以上、それは認めざるを得ません。
しかし、ネット世界で繰り広げられる経済活動の、ほぼすべてが広告費というのは、本当に健全なことなのでしょうか。どうも、気になります。
人間の生産的活動の、それなりの割合がITに振り向けられるとして、それが無料で、広告費だけで賄われるとすると、直感だけでいうと、経済規模がマクロで縮小しちゃうんじゃないかという。
経済連関とか、ちゃんと勉強しないとな。
あーでも、民放とかもCMだから同じか。だからメディア企業と言われるのか。あ、ループしてしまった。

竜頭蛇尾になってしまいました。すいません。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。