子供たちからケータイを奪うことによって生じる2つの問題

asahi.com:「小中学生に携帯電話持たせるな」教育再生懇提言へ – 携帯電話 – デジタル
政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾長)は17日、子どもを有害情報から守るために「小中学生に携帯電話を持たせない」との提言を、今月末にまとめる中間報告書に盛り込む方針を決めた。強制力はないが、保護者をはじめ社会に対するメッセージとする狙いがある。

いくらなんでも、その手はない。
たしかに、学校裏サイトの問題とか、プロフの問題とかあるのは分かる。
しかし、未来を担う子供たちから最新のテクノロジーを奪うことが、どれだけ将来の日本に暗い影を与えることになるのか、それを考えなければならない。

問題は2つあると思う。
1つは、経済的競争力に落とす影。
もう1つは、メディアリテラシーの問題だ。

経済的競争力に落とす影

技術立国である日本は、常に新しい技術革新とともに進んでいかなければ、経済的競争力は落ちる一方だ。
梅田望夫氏が、ネットやケータイを空気のように感じている世代から次の革命が生まれる的なことを言っていた。
私がケータイを初めて持ったのは専門学校生の頃だった。今はなきNTTパーソナルのPHSだった。なぜ、NTTパーソナルのPHSを選んだかというと、PCのメールが転送できたからだ。今となっては当然の機能だが、当時としては珍しかった。
ここでなぜ、そんな昔話をしたかというと、既にPCでインターネットを十分に体験したあとにケータイを持つと、PC視点でケータイを見ることになることを言いたいからだ。
今の子供たちは、自分のPCよりも早く、自分のケータイを持っているのではないか。PCは家族で1台だが、ケータイは1人に1台。そういう家庭は多いと思う。
そんな彼らは、最初からケータイ視点でケータイを、そしてPCを見るようになる。そこからしか新しい革命は生まれない。その考えは一理ある。

メディアリテラシーの問題

いま議論になっているケータイの問題というのは、詰まるところネットの問題で、ネットが容易に新しいコミュニケーションの場を作り出すところにある。
基本的にそれは素晴らしいことなのだが、ネットの場合、親の監視が行き届かないところにそれが出来てしまう。特に1人1台が持つケータイだと、その傾向が強くなる。そういうことだと思う。
しかし、だからといってケータイを奪うことが解決になるのか。
本質的に重要なのは、ケータイという新しいメディアから生まれる、新しいコミュニケーションを、いかに子供たちが有意義に使うかである。少しは痛い目を見ることもあるかもしれないが、そういう点を含めてメディアリテラシーは涵養されていく。
だから、大人たちはメディアを有意義に使うという視点で子供たちを見守り、サポートすべきなのである。まぁ、そもそも、大人自身がメディアを有意義に使っているのか?というと、甚だ心許ないところではある。メディアに踊らされる大人ばかりかもしれない。(大人たちが踊らされているのは、主にテレビや新聞といったオールドな、しかし今のところは基幹なメディアだが。)
子供たちから新しい、これからの基幹メディアともいえるケータイを奪うことは、何の解決にもならない。結局、メディアに踊らされる大人たちの再生産になるだけだろう。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。2018年、株式会社ビビンコを北九州市に創業。IoTソリューションの開発・導入や、画像認識モデルを活用したアプリの開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。