考えることは大切。考えすぎるのは時間の無駄。

詳しいことは後で書くが、そんなことを思った。26歳だったのが、気付いたら28歳である。このそれなりに長い期間に、何でもいいから何かをとことんやっていれば、何か違ったのではないかと。でも、この期間がなかったら、こういうことを思わなかったのかもしれない。

さて。

朝、通勤の電車の中で、上のようなことを書いて、1日の仕事が終わって、家に帰ってきた。
「詳しいことは後で書く」と、朝の私は言っているので、それを書くことにしよう。
26歳というのは、私が会社を辞めて、違う業界で独立しようと思った年齢。その後、すぐに27歳になって、実際に会社を辞めたのは27歳のとき。そして、28歳が現在の年齢。だいたい16ヶ月が経過したわけだ。
結局、違う業界には行かず、同じSI業界で派遣で働いている。糊口はしのいでいるが、職業人として成長しているような感覚はない。ずっと、「自分が本当は何がしたいのか」を考えて…というか、考えていることにして、だらだら、ここまでやって来たというのが、その真相である。

それでも、少し前までは、「何がしたいのか、何がしたいのか…」と、それなりに考えてもいたが、最近の心境は、「結局、何もやってないし、何かしないとマズい」という、ある種の強迫観念のようなものに変わってきている。実際のところ、まだ、強迫というほど切羽詰った感覚は持たないが、こういうことを文章に残すことによって、徐々に切羽詰って来るのだろう。何より、自分探し本のようなものを見ると、辟易とする自分になった。
最近、特に優柔不断である。この16ヶ月で、優柔不断が身に染み付いたのだろうか。それも、良いことではない。
色々考えて、ズドンと落ちて、それでもまぁ、それなりの生活をしているな…と思ったら、少し元気になって、何かやろうとやる気になるが、優柔不断で先に進まないか、進んでも途中でやめて、そうなったら、また考えて、ズドン…。そういう繰り返しを、時に大きなうねり、時に小さなうねりで繰り返している。

今はなんとなく、トンネルの中にいるような気がしてきた。おそらく、トンネルを抜けた後から、今を振り返れば、「空白の期間」のように思うのかもしれない。
まぁ、そんなところだ。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。