ところで…

2006年のdm。は、アーキテクトとか、行政書士とか、仕事とか、人生とか、そういう記事で溢れていました。それが、今年になって一気になりを潜めました。なぜでしょうか。
先月から、ZaurusにPukiwikiを入れて、そこに日記を書くということを始めました。その日記は意外に続いて、そういう話は日記に書かれるようなりました。故に、dm。からそういう記事が姿を消したのです。
dm。は、私のリアルの知り合いが読んでいたりして、私の近況報告ツールになっている側面があります。少し、その件について、オープンにしておこうと思います。

去年の4月くらいから、ずっと考えていたのは、自分は何がしたいのか、今後どうするのか、そういうことです。要はキャリアデザインです。ある本(↓の本です)で、キャリアにはデザインする期間と、そのデザインに沿ってドリフト(運命に身を任せる)する期間があると読みました。私は、デザイン期間に入ったのです。もしかすると、27歳にして、人生初めての本格的なデザイン期間なのかもしれません。

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そのデザインの経過として、一時はアーキテクトが頭をもたげたのであり、また一時は行政書士だったのです。11月に仙台で「大人の思春期」と書きましたが、まさにそのとおりで、思春期は多感です。
最近になって、日記を書き始めたのが功を奏したのか、一つの結論が見え始めました。さらに、ある仕事の誘いを受けたことが刺激となって、自分の発想の限界を作っていた枷が外れたような気がしました。

私は、「大学には行かせられない。専門学校に行って就職しなさい」と親に言われて育ちました。事実、若干の脱線はあったものの、見事そのとおりになりました。私は、学歴コンプレックスなどないと思っていましたが、実は少なくとも大学くらいは出ている必要がありそうな職業は、最初から考えない。そういう、限定された枠内での発想になっていたのです。もし、本当にやりたい仕事が、枠の外にあったら、いくら時間をかけても、何事もやり抜くという決意を固めたとしても、見つかるはずはありません。これが、自分を縛る枷になっていたのです。
親を恨むとか、そういう話ではありません。私が、そう思い込んで、自分で作った枷なのです。

諸々考えて、私がたどり着いた、自分の本当にやりたいことは「表現すること」です。どう考えても、最終的にはそこにたどり着きます。自分が何かを表現して、相手に喜んでもらう、そういうことがしたいのです。「人に何かを伝える」。それが自分のコアコンピタンスだと思います。
私は、ハロプロだったり落語だったり、プロの表現というものを見ます。去年の後藤真希のコンサート(G-Emotion)に悪態をつき、今年(先週と昨日の2回見たハロ☆プロオンステージ)は絶賛しています。その理由は、私が見たいものを見ることができたか否かです。(もちろん、G-Emotionを絶賛した人もいるでしょうから、表現というのは難しいものです。)
このことから悟ったのは、プロの表現というものは、相手が求めるものでなければならない、ということです。自己満足だけの表現に意味はないのです。だから、私が何かを表現する、何かを伝えることを仕事にしたいのなら、私は、相手にとって意味のある何かを身につけ、それを伝えるようにしなければならないのです。

私は、その業界はさておき、ITというものが嫌いではありません。いや、好きということにしておきましょう(あまのじゃくな…)。価値は認めているのです。
SEという仕事をずっとやって来ました。SEにとっても「伝える」ことは大切なスキルで、顧客と話をする場面で活かされることは少なくありません。だから、その点で私は、満足を得ることができました。しかし、SEの根源的価値はシステムを「作る」ということであって、伝えることではないのです。

先週、仕事の誘いを受けた時、「ITが分かるんだし、それだけ喋れるんだから、コンサルタントになれば良い」と言われたのです。それに、タイプとしてSE的に詳細をきちんと語る業務コンサルタントではなく、広い視野から大枠を語る経営コンサルタントの方が良かろうと言われました。
自分にかけた枷がある中では、見つからない職業でした。相当、勉強しないとなれる職業ではないと思います。しかし、それで本当に自分のやりたいことが出来るのなら、やり遂げる価値はあります。

まだ、経営コンサルタントというものが、どういう仕事かは、よく分かっていません。それに、その仕事の誘いの回答も、まだです。
しかし、思うことがあります。

自分は二次メディアの人間だと思っています。何かを作り出す一次メディアではなく、それを伝える二次メディアです。研究者や開発者ではなく、伝道者です。
例えば、去年、dm。でも盛んに取り上げた「ウェブ進化論」の著者である梅田望夫氏は、自らがWeb2.0を作ったのではありません。そのブームの波を捕らえて、それを自分のフィルターを通して表現したのです。氏の本職はコンサルタントですから、おそらく最初は顧問契約している企業のトップに伝えたのでしょう。
そういうことが出来ないか、と思うのです。もちろん、今すぐにではなく、そんなことが出来るようになりたいということです。

行政書士のような独立開業型資格を選ぶように、いずれ自分の名前で仕事をしたいと思っています。しかし、会社を立ち上げることはあっても、それを大きくしようという考えはありません。研究者や開発者でなければ、経営者でもないのです。コンサルタントタイプなのかもしれません。

自己分析は、ここまで進みました。
今回のキャリアのデザイン期間の回答は、もうすぐだと思います。
また、ここで近況報告します。

この記事を書いた人

井上 研一

株式会社ビビンコ代表取締役、ITエンジニア/経済産業省推進資格ITコーディネータ。AI・IoTに強いITコーディネータとして活動。画像認識モデルを活用したアプリや、生成AIを業務に組み込むためのサービス「Gen2Go」の開発などを行っている。近著に「使ってわかった AWSのAI」、「ワトソンで体感する人工知能」。日本全国でセミナー・研修講師としての登壇も多数。